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2013年3月4日を表示

関英男博士

文章が好きなので 写経ならぬ 写文しました。


1 超感覚の世界の探検は常識への過酷な挑戦である

物理学は、多くの人々にあまり好感を持たれていないようです。物理学の教科書を開いてみると、多くの人々が敬遠するのも無理からぬようなじつにめんどうな記号、めんどうな数式がページをめくるごとに、これでもか、これでもかと出てきます。そして、テスト。味も素っ気もない知識とだれもが思うのは、無理もないことだとも思えます。
 しかしはたしてそうでしょうか。
 
長い雨が久しぶりに止み、雨だれを反射しながら青空が見えたとき、だれもが、ああ空がなんて青いんだろう、どうして空はこんなに青いんだろう、と思うでしょう。

人間は、このように、自分の周囲に起こる自然の現象を知りたいという欲望と好奇心を、多かれ少なかれもっています。

しかし、人間が自分の眼、耳、鼻などによって直接知ることのできる自然の範囲は、とても狭いものなのです。
私たちはビールスを肉眼で見ることはできないし、また月と星のどちらが大きいかを知ることはできても、肉眼で月と星がどちらが遠いかを知ることはとてもできません。それは人間の感覚の能力を超えた世界だからです。

人間は、自分の五官の助けを絶対だと信じていますから、感覚できない世界がどうなっているかを知ったところで、毎日の生活が変わるとか、知らないから日常生活がうまくいかないということはもちろんありません。しかし、こうした人間の、見、聞き、感じ、触れる世界のみが絶対だと信ずる態度が、人々を現代物理学の"おもしろさ"に近づける上で障害になっていることもまた事実なのです。

 現代物理学は、私たちの知ることのできる自然の範囲を、とても信じられないほど拡大することに成功しました。それは、じつに五十億光年の超巨大な「宇宙」から、一兆分の一ミリの超極微の素粒子の世界がどうなっているのか、どんな法則があるか、これらを知ることを可能にしました。

また空間とともに、時間についても拡大しています。物理学にたずさわる人は、実生活ではたとえどんなに気の長い人でも、十兆分の一の、そのまた百億分の一という超極小時間に起こる自然の変化について考えますし、またどんなに気の短い人でも、百億年の超長時間に起こったことを宇宙的に考えなくてはなりません。

 それでは、現代物理学は、自然の本質についてなにを知ることを可能にしたのでしょうか。それは超感覚の世界があるということ、そして超感覚の世界こそ自然の本質であり、それは人間の感覚できる世界とはまったく異なっていることです。

 人間が目や耳で経験できる世界よりもはるかに大きいか小さい世界はまったくちがう性質があり、その事実は自然が質的にちがった多くの構造から成り立っていることを示しているのです。

              四次元99の謎 関英男



3月4日(月)17:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理


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