23 素粒子は、波であり粒子であるという矛盾 |
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| 携帯電話と麻の布 投稿者:新参者 投稿日:2013年 3月25日(月)16時33分0秒 携帯電話からは破壊的波動が出ていますが、麻の布1枚かぶせることで防げるという話がありますのでご参考まで。ちなみに私は携帯電話を持つことはやめました。
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麻布は愛の布 投稿者:たまきち 投稿日:2013年 3月26日(火)05時25分20秒 こども時代から大人になるまで 夏は麻の蚊帳の中で寝ました。蒸し暑い夏の夜 蚊帳の中に入るとひんやりとするだけでなく なぜか心地よく熟睡できたような気がします。 麻布に包まれた携帯さんもきっと気持よくなるだろうな~なんて思いました。
23 素粒子は、波であり粒子であるという矛盾
私たちの頭には、原子核を構成している陽子と中性子、そして核外を飛んでいる電子のモデルが描かれたと思います。そして、原子を構成している素粒子が"粒子"であるというイメージも得られたと思います。ところで、これらの素粒子にはどんな性質があるのでしょうか。私たちの常識からすれば、たとえば核外電子が飛んでいるといえば、米粒よりはるかにはるかに小さいけれど粒子が鉄砲の玉のようにある軌道をもって飛んでいると思うのではないでしょうか。陽子も中性子も野球のボールのように進むものだとイメージするにちがいありません。
ところがじつは、これらの素粒子は私たちの常識を越えた奇妙な性質をもっているのです。というのは、素粒子はあるときは波の姿で現われ、あるときは粒子の姿で現れるのです。波と粒子の姿があまりちがわないものなら問題はないけれど、波と粒子は両極端の相反する性質を持っているからやっかいなのです。波は、ある一点からあらゆるほう方向に広がっていく性質をもっています。弾丸はそうではない。
つまり、素粒子の姿とは、粒子であってしかも波である。これが不思議でなくてなにが不思議といえるでしょうか。しかし、私たちはこの素粒子の姿を見ることはもちろんできない。
波は、音波や電波を考えてもわかるように、空間に無限に広がる可能性をもっています。たとえば光は、すくなくとも波長の何万倍もの空間に広がっていきます。じっさいには、波には厳密に考えて大きさというものは考えられません。どこまでも広がりつづける性質があります。
これに対して粒子は大きさが有限です。波の広がりと比較すればきわめて小さくなります。池に放り込んだ石と水面の波の大きさを頭に描いてください。とくに素粒子はその大きさは一兆分の一センチ以下という超極微の物質ですから、波と比べるととても小さい。粒子像と波の像の素粒子の姿はこの事実を考えればすぐ直感的にわかります。大きさ一兆分の一センチの素粒子が運動すればシャープな軌道が描かれる。ところが波であればそれは広い空間です。この二つの性質が、素粒子の性質なのです。じつにおかしな話ではないですか。
四次元99の謎 関英男
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3月26日(火)05:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理
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