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6 一次元世界で、美人コンクールをしたらどうでしょう

次元というのは、もともとは空間の性質を研究する幾何学の専門用語です。数学の世界では、線も面も空間として考えることに決められているのです。すなわち、線を一次元空間、面を二次元空間、私たちがふつうに呼んでいる空間が三次元空間です。一次元空間は、長さだけしかない世界、二次元空間は、面ですから長さと幅の二つの方向があります。三次元空間は、面のほかに高さという方向が加わったものです。

まず一次元の世界を考えてみましょう。そこは幅もなく厚さもないただ一方向に伸びた空間(=直線)だけがある世界です。

具体的に考えていくと、たとえばとても細い一本道がある、道の両側は死の谷とでも言える深い奈落の底がまちかまえている。この一本道を一次元のAという人がまっすぐに歩いている。そしてかれは、むこうからBという人がこちらに歩いてくるのをみつけた。やがて二人はすぐそばまで来た。とそのときAは自分の後ろ側で石が落ちてきて、道をさいでしまったのを見た。一次元のかれには、そのとき運命は決められた。Bと並んで、その道の上に向かい合っていることしかできない。すれちがうことはもちろん、ひき返すこともできないのが一次元の世界なのです。

たとえば、やっと抜けられるくらいの細い管の両側から二匹のアリを入れてみるといい。ともに前に進むことしかできず、衝突したらそれでおしまいです。アリにとっては、管は道であって、その管が曲がっていようが、まっすぐであろうが、その道にいるアリにはまったくわからない。だから、その道が円環になっていて、もし一匹のアリが歩き始めても、それは無限に遠い。果てのない道ということになるわけです。しかも、直線の道のわけです。その道が曲がっているかどうかを知ることができるのは、じつはその道を面の上に置いたときなのです。面の上におき、二次元世界の住人となれば、一次元の線が曲がっているかどうかをみることはできるのです。しかし、一次元の住人にとって、一次元空間=線が曲がっているかどうかは、知ることはできても見ることはできない。知るというのは、数学的に知るということです。

しかし、一次元の世界というのは現実にはない。空間に一本の線を引いて、その線の太さをゼロと仮定して、一次元と言うことはできますが、現実にはない。われわれが抽象し、仮想した世界にすぎないのです。

もし、あるとしたらどうか。その世界で人間が生きるとしたら、入れ替えがまったくできないのだから、その人は一生のうち前と後ろの二人の人間としか会えない。自分を含めて三人の世界です。もし、一次元の世界で、美人コンクールをしたら、人間は三人しかいないのですから、必ず三位までには入ることができる。いや、それよりも、長さしかない世界なのですから、あるのは身長だけ。バストやウェストのない世界で、味気のないコンクールとなってしまうでしょう。

四次元99の謎 関英男



3月9日(土)06:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理


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