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2013年3月5日を表示

2 宇宙の果てになにがあるかを考えるとノイローゼになる

現代物理学を知らないで、この大宇宙の果てになにがあるのかを考えると、その人は必ずノイローゼになるとよく言われます。それはいくら考えても次から次へと疑問がわいてきて、永遠に答えにたどりつかないばかりか、最初の単純素朴な思いつきに必ず帰ってくるからです。

「宇宙は有限か無限化」「もし有限だとしたら、有限な宇宙の外はなにか。反宇宙なのか」「もし無限だとしたら、無限とはどういうことか」

こうしたことはしかし、大宇宙の構造に興味を抱いたことのある人なら一度は必ずもってしまう疑問でしょう。現代物理学者は、こうした疑問にいて、それは、昔の人が大地の果てについて抱いていた素朴な疑問と同じで、まちがった考え方を基本にした、とくことのできない疑問であると説明しています。そして、そのまちがいは感覚世界の常識に人々が強くしばられている証拠だ、とも言っています。宇宙が有限か無限かという問いかけについては次にふれますし、最後の章でもくわしくのべますので、ここではまず私たちがいかに自分の五官を盲信しているかをみてみましょう。

たとえば、昔の人は地球を平面だと考えていた。肉眼でみれば、大地はたしかに平面にみえます。海の水平線をじっと、よく見れば船の姿などによって海面が少し曲がっていることはわかりますが、昔のひとはそこまで気づかなかった。だから平面の陸地や海面をずっと向こうに行けば、そこには果てがあるはずだ、そして果ての向こうには未知の暗い世界があるはずだと空想していました。そして、その未知の暗い世界は人々をおののかせ、今から見ればじつにくだらない妄想を生みました。

もし、この時代の人が人工衛星にでも乗って、地球がまるいことを知ったらどんなに驚くことでしょうか。また人類は、地球が球形であることを知ったあとでも、地球の反対側にいる人が逆立ちして立っていることを容易に信じようとはしませんでした。地球が、宇宙に浮かんでいるなどということはもちろん、信じられないことだったのです。

時代によって人間に知能的能力の差があるとは考えられませんから、昔の人がこのようなバカげたことを信じていた背後には、それなりの理由があるのです。自分の住んでいる狭い地上で得た経験知識で、大地全体の構造を説明しようとしたから、その果てを考えざるをえず、果ての向こうには未知の暗黒の世界があると空想せざるをえなくなったのです。

肉眼でみわたせる陸や海は平面である。。そしてすべての物体は下に向かって運動する。だから大地には果てがあり、大地はなにものかによって支えられているにちがいない、と考えたのです。

しかし、どんな旅人も、地球の果てにだとりつくことはできなかった。それは、空想によってしか説明がつかなかったのです。最初に述べた、宇宙の果てに関する私たちの疑問も、これとまったく同じ考え方に基づいているのです。私たちは、なかなか自分の信じたものを捨てられない。

                              四次元99の謎 関英男



3月5日(火)04:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理


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