がんと闘うことなかれ |
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| がん放置療法のすすめ 終章
がんと闘うことなかれ
本書(『患者よ、がんと闘うな』)では総じて、現行のがん治療の負の側面を述べてきました。その内容に得心された方も多いようですが、反面、治る夢が打ち砕かれた、がん治療の将来に希望がもてなくなった、などのお便りも連載中にいただきました。そのような反応があることは当然予想していましたから、連載を始めることは本当に心苦しいかぎりでした。
それでも筆をとることにしたのは、患者たちが手術による合併症・後遺症や抗がん剤の副作用で苦しみ、治療のせいで亡くなった患者の家族が悲嘆にくれている現状があるからです。それらの治療が妥当でも必要でもなかったとしたら、それに気づいた専門家は、世に知らせる責任があると考えたのです。
人は夢や希望をもつことが大切、とよくいわれます。しかし、ことがんに関しては、それはあてはまりません。いやむしろ、夢や希望をもつことは有害とさえいえるでしょう。なぜならば、夢や希望にすがった結果、からだを切りきざまれ、たんなる毒でしかないものを使われてしまうからです。
人はいつか必ず死ぬのですから、宇宙の悠久の歴史からみれば、数年や数十年の延命などいかほどの意味もない、どういう医療をうけようが同じではないか、という見方も可能かもしれません。
しかし、ひとつだけ大きなちがいがあります。それは、医療の内容によって、あとで後悔するかしないかが違ってくる、ということです。
私は医療で一番大切なことは、だれ一人として後悔しないし後悔させないことだ、と考えています。せっかくよかれと思ってつらい治療をうけたのに、あとで後悔するのでは悲しすぎます。その場合、後悔したのは、現状認識や将来予測と治療の結果とが食い違ったためです。
したがって後悔しないためには、がん治療の現状を正確に知り、がんの本質を深く洞察することが必要になるのです。できることとできないことをはっきりさせて人々に知らせるのも、科学としての医学の役割でしょう。
これまで患者や家族が悲痛にあえいできたについては、がんと闘う。という言葉にも責任があったように思われます。つまりこれまで、闘いだから手術や抗がん剤が必要だ、と考えられてきたわけですが、そのために過酷な治療がおこなわれ患者が苦しんできた、という構図があります。
しかし考えてみれば、がんは自分のからだの一部です。自分のからだと闘うという思想や理念に矛盾はないのでしょうか。徹底的に闘えば闘うほど、自分のからだを痛めつけ、ほろびへの道をあゆむことにはならないでしょうか。
また、逸見政孝さんの様子からも示唆されるように、患者が戦っていると思う相手はがんではなく、じつは手術の合併症・後遺症や抗がん剤の副作用と闘っているだけ。という可能性はないのでしょうか。
がんは老化現象ですが、それはいいかえれば”自然現象”ということです。その自然現象に、治療という人為的な働きかけをすれば、からだが不自然で不自由なものになってしまうのは当然です。どうやら私たちは、思想や理念のうえで、がんと闘うという言葉から脱却すべきところにきているようです。
しかしそれは、がん治療が一切無意味、ということではありません。小児急性白血病など一部のがんは、治すこともできます。モルヒネや放射線などによって、痛みや苦しみをとることもできます。しかし残念ながら、治療で治せるがんはごく少数なのです。
したがって肝心なことは、がん治療に多くを望まない、ということのように思われます。がん治療には最低限、症状をとってもらうことを期待しましょう。ほかにメリットがありうるとしても、それはおまけ、なくてもともと、と考えるべきでしょう。またそのように腹をくくったほうが、専門家にすがって無理な治療をされてしまうより、長生きできることも多いものです。要するに、治らないことを率直に認めないと、長生きもできないし、楽にも死ねないわけです。
がん治療の将来にも、たいした夢も希望もありません。しかしそのことを悲観する必要はありません。なぜならば、私たちの人生にとって、がんやがん治療だけが大切なものではないからです。私たちにとって大切なのは、自由に生きる、なにものにもわずらわされずに生きる、ということではないでしょうか。そのためには死ぬまで、やまいからも解放される必要があるはずです。もっとも死ぬ直前にはたいてい、なんらか具合が悪くなりますから、死ぬまで完全に解放されるというのは無理かもしれません。
しかし他方、やまいは気からというように、やまいは自然現象につけられた名称であって、私たちの頭のなかや観念のうちにしか存在しない、とみることも可能です。したがってもし私たちが、がんを自然現象としてうけいれることができるなら、がんによる死はふつう自然で平和ですから、がんにおいてこそ、やまいという観念から死ぬまで解放されることができるはずです。
がん放置療法のすすめ 近藤誠
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近藤さんは 自分の体の中のがんを敵とみなさないように 自分をみつめなおす機会ととらえるようにと言われていると思いました。
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12月11日(水)05:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自然 | 管理
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医者にまかせるということ |
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| (無題) 投稿者:リンリン 投稿日:2013年12月10日(火)23時05分27秒
m: 「がんは切らなくていい」 という説に人々が飛びつくの、すごくよくわかる。
みんな、手術なんかしたくないし、放射線なんて浴びたくないし、抗がん剤なんてやりたくない。
でも、治療を拒否して死んでいったがん患者が大勢いる事実は、どう説明されるの? 皆さん、そこから目をそらしてない?
(ツイッターより)
「ヤンデル先生の炎上覚悟のはっきり言うわ」 http://togetter.com/li/566205
「頼れるのは自分の直感なんで(笑)」 とかほんと知性のかけらも感じられないセリフだよね~~
……っていう考えもってる人が思いのほか少ないことに驚く今日このごろである
「個人の経験がものを言う世界」ってのは確かにあるけど、その世界は決して広くないと思う
個人の経験や動物的な本能だけで生きていくってのはすなわち
「人類がいままで費やしてきた歴史のありがたみ」 を使わないってことだからな ホモ・サピエンスじゃなくて猿の方が俺には合ってますって言ってるのとおんなじだからな
「アドバイスありがとう、でも、最後に決めるのはやっぱりゥチの心だと思うんで~ 一度しかないゥチだけの人生なんでワラ」
って言うやつが 数年後には他人に迷惑かけまくってるなんてことしょっちゅう
「わたしだけの人生」 で他人に迷惑かけんな てめぇの直感なんざクソだよ
「今まで、直感で生きてきましたから」 って公言するカリスマがたまーにいるけど、
「宝くじ当たった人」 だと思って見てるよ
おめでとう おめでとう よかったねー偶然に愛されて みたいな
Dr_yandel: ま、ここまで書いたらしょうがない 言うか……
懇切丁寧に時間をかけて患者に現在の状態を説明し、
なぜタバコをやめるべきなのか(※一例です)をこんこんと説いて、
その結果患者さんから帰ってくるセリフが「俺の人生なんだから好きなようにさせろよ」と言われて、
その10年後に肺気腫ですさまじいことになってる患者に在宅酸素を提案してさ、
そのときに「せんせい なんで俺こんなことになっちまったんだ…」
みたいなかぼそいセリフなんか聞いてみろって
「てめぇの直感だか生き様だかしらねぇが、自分で決めるってなら最後まで自分で決めろ
結局もどってきてそんな目されてこっちは迷惑なんだよ!!!」
……って思ったみたいなエピソード
Dr_yandel: ほんとうにくさるほどある
Dr_yandel: 進行癌の治療とかな 糖尿病の管理とかな アルコールとかよ
Dr_yandel: だからやっぱ俺あれだ、炎上してもいいわ はっきり言うわ
Dr_yandel: 「直感で生きるのがかっこいいと思ってるやつはきちんと一人で死ね」
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医者にまかせるということ 投稿者:たまきち 投稿日:2013年12月11日(水)05時36分43秒
お金のことを書くつもりはなかったのですが、今から何年前になるのだろう。十年以上はたつと思いますが 叔母のつれあいが 脳腫瘍の外科手術をしたあと、数か月待たずに亡くなりました。
だいぶ後で 問わず語りに叔母が話してくれたのですが 支払いは三百万で 手術の実際の費用は一千万なのだそうです。だからどうだというつもりはありません。
叔母はするだけのことはしたと言っていました。人は自分の価値観というものがあるのだと思いますし 私は 叔母のことをどうだこうだというつもりもないし リンリンさんのこともそういう意見もあると 承っておきます。
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12月11日(水)05:45 | トラックバック(0) | コメント(2) | 自然 | 管理
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