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2013年4月4日を表示

32 一メートルの棒は十メートルの棒であるという真理

「一メートルの棒は十メートルの棒でもある」ということを私たちは承認できるでしょうか。

私たちは一メートルの棒は一メートルだと信じて疑わないでしょう。一メートルの棒に熱や力などの物理力を加えて十メートルに引き伸ばすというのではなく、ここにあるこの棒は一メートルであり、また十メートルだというのです。ところがこの命題は正しいのです。どこも誤っていない。

では逆に考えてみましょう。私たちはなぜ一メートルの棒は一メートルであると信じているのか。十メートルではなぜいけないのでしょうか。それは「絶対性」を信じて疑わないからです。物さしという決定的な絶対的尺度で棒の長さを測って、それが正しいと信ずるから、かたくなにこの棒は一メートルだと主張するのではないでしょうか。

そこに少しでも疑いの心があれば、物さしの尺度ははたして正確かどうかと疑う心があれば、この棒は十メートルだと主張する人をバカにしたり嘲笑したりしなくてむすのではないでしょうか。

私たちの社会では常識によく適応できる人、常識的判断、常識的行動のできる人が、もっとも普通で力強くバイタルに生き抜いていくことができるようです。その意味で常識の力は強い。

しかし、これから私たちが考えてゆこうとする世界、時空世界(あるいは四次元空間、超空間)は逆です。認識の構造がまるで違うのです。ですから、常識的な人ほどこの世界では強く驚き、常識的であろうとすればとても生きてゆけないかもしれません。しかし、私たちはともかくその世界に足を踏み込んでしまった。

そこで、私たちの心をまず常識から解き放つこと、絶対性を否定するという考え方に近づくことにしましょう。しかしこれはむずかしいのです。私たちにとっていちばんの難問は、いちど身につけた知識をひっくりかえすことなのですから。

幼稚園にもまた行っていない幼児をつかまえて一メートルの棒をみせて「この棒は一メートルだよ」というとその子は「うん」といって納得するでしょう。

そして少しして「でも、十メートルなんだよ」といっても「うん」というでしょう。じつはこの心が大切なんでするその子にたずねるとこう答えるでしょう。

「ママはさっき右手にもった棒を一メートルだといいました。すこし歩いて左手にもちかえて十メートルだといいました。この棒は一メートルで十メートルです」

では、絶対性を否定して、棒の長さを正確に表現するにはどうしたらいいのでしょうか。つまり棒の長さは、測った人によってそれぞれちがうと考えればいいわけです。

つまり、福田君が測ったところによればこの棒は一メートルであった。田中君が測ったらこの棒は十メートルであった。これで十分なわけです。

福田君と田中君がケンカする必要はない。そして、これらの測定値がどちらも正しいことを認めるのです。もちろん、時間と質量についても同じ考え方をしていきます。

じつは、これがアインシュタインの特殊相対性理論を理解するための第一歩なのです。

                                     四次元99の謎 関英男



4月4日(木)05:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理


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