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2013年4月1日を表示

29 ハイゼルベルクの不確定性理論が示す自然の性質

不確定性理論を頭によくいれるために、次のことを考えてみましょう。

予言==とはなんでしょう。たとえば、ある予言者がいて、かれの予言が百パーセント当たるとします。そして、「三日後の十二時(正午)に、Aさんは渋谷を歩いているとき、石につまづいて大ケガをする」と言ったとします。この予言は当たるでしょうか。

Aさんがこの予言を聞いて、その予言者の予言が当たると信じていれば、Aさんはその日のその時刻に渋谷に行かないようにするでしょう。当然予言は当たらなくなる。

つまり、Aさんは予言者の予言が百パーセント当たると信じたから、渋谷に行かなかった。その結果予言者の予言は百パーセント当たらなくなる。

つまり、予言であるためには多くの人に知らせなければ一般的とならないが、人々が知ることによって予言が当たらなくなるという矛盾を内にもっている。これが予言の性質なのです。

あまり明るくないところで、しかも照明を特別にしないで映画を撮影する場面を想像してみましょう。

まず、絞りをきかせたとしますと、焦点深度が増加するため、その光景にふくまれるすべてのものが高解像度で写るので、いかにもきれいにみえるでしょう。

しかし、フィルムの感度に制限がありますから、露出時間を長くかけなければならず、自然、一秒間の駒数が少なくなり、動作が何とはなしにぎこちなく映るでしょう。

そこでもし、絞りを開放にすれば、フィルムへの光量がふえますから、一秒間の駒数を多くしてもすべてよく感光し、動作の方が正確に記録されます。その代わり、焦点深度が浅く、特定の目標以外 ボケてしまいます。

つまり、動作をスムーズに映そうとすれば、像分解がおちるし、高解像度で映そうとすれば、動きが不連続になります。

これは極端な例をあげたのですが、世の中には多かれ、少なかれ、こんな例が多いものです。あちら立てれば、こちら立たず、といったことは日常生活でよく経験するところです。

ハイゼルベルグの不確定性理論も、素粒子の位置を正確に観察しようとすれば、素粒子の速度を正確に観察することを断念しなければできないという自然の性質を述べたものです。

逆に素粒子の速度を正確に観測しようとすると、素粒子の位置が不明確になってしまいます。

そしてかれはそれをこのように考えたのです。

「位置と速度を同時に観測しようとしますと、どちらもほどほどの精度でしか原理的に測れないもので、ある限界がある」

そしてかれは、物質については正確な位置と速度を知ることができるという私たちの経験的真理を捨て、正確さに限界のある位置と速度を考えたのです。

つまり、位置につきまとう不正確の程度、速度につきまとう不正確の程度のあいだにある関係(法則)があることを発見しました。

(位置の不確定範囲)×(速度の不確定範囲)≧一定値

これがハイゼルベルグの不確定性理論と呼ばれるもので、千九百二十五年に発表されました。つまり位置の不確定性と速度の不確定性の間には、逆比例の関係があります。

さて、この原理で素粒子の世界を探検してみましょう。水素原子をかりにみえるような電子顕微鏡があったと仮定して撮影してみたとします。

そして、無限回撮影を繰り返し、その写真を重ねあわせると電子の示す点はフィルムの上に一様に分布して、雲のようにみえます。

つまり、第一回目に撮影したとき、あるところにあった電子が次の撮影のときどこにあるかわからない。
逆にいえばそのフィルムに描かれた範囲のどこにでもあるということです。

フィルムの範囲が半径一千メートルの円ならその円全体が電子であると言えるわけで、それ以上の細かいことは原理的にわからない、ということなのです。ここのところを先ほどの映画撮影の例とくらべてみてください。

このように不確定性原理は、粒子の概念をすっかり変えました。

つまり素粒子の世界では粒子の運動は雲が高速度で飛んでいるようなものだし、素粒子の姿は空間に広がって進むという性質があるのです。つまり波に近い姿といえます。

素粒子は波であり粒子であるのです。

                              四次元99の謎 関英男



4月1日(月)05:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理


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