お日さまとお月さま
 
幸せな地球さんを見ました 
 


関英男博士

41 宇宙旅行から帰ると人類は滅亡していた

麻の実ナッツ 投稿者:norapapa 投稿日:2013年 4月12日(金)09時55分56秒
 
大分春めいて来ている様に感じますが時には冷え込んだ感じですね

麻の実ナッツはサラダに掛けて頂いています
身体に良い脂肪分が有るとか聞いていますのでアマゾンでほんの少し安く買えますね。

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お誕生日を 投稿者:ジュリー 投稿日:2013年 4月12日(金)11時09分9秒

お祝いして良いものかどうか、わたしも実はあまり嬉しくないのです。

最近は、年を取ることにしています。

私が年をとっても 野に花は咲きますね 。

チェリノブイリ でも 福島 でも 花は咲くんですね。

まるで、なにごとも無かったように。


花は咲く


いいですね~

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大いに歩く 投稿者:新参者 投稿日:2013年 4月12日(金)18時06分23秒
 
これから大いに歩くことにしよう。時間がゆっくり進むように…

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歩こう歩こう私は元気 投稿者:たまきち 投稿日:2013年 4月13日(土)06時12分35秒

norapapaさん 麻の実ナッツは ふりかけゴマのようにして食べるといいのですね。



ジュリーさん  私ずっと不思議に思ってることがあるのですが (前にも書いたかな~)電話の声は年いかないですよね。若いときのままです。声帯には 老けるスイッチは無いにちがいない。年いくスイッチをOFFにすれば 細胞は新しい細胞に入れ替わるだけです。

年がいかなければ文字どおり 誕生日は 太陽さんの何回周りの記念日になるだけです。~



新参者さん せかせか人生ではなく ゆったり人生を歩きたいですね。時間もゆったり過ぎるかもです。



41 宇宙旅行から帰ると人類は滅亡していた

ロケットが準光速で宇宙空間を飛んでいるときに起こる奇妙な現象、奇妙な性質については第四章で詳しく述べました。

ところが、これらの仮定の話はいずれも等速運動、つまり速さと方向が一定の運動についてのみ考えられていたわけですから、ロケットが地球に帰ってくる場合のことは考えられていません。

では、宇宙のどこかでロケットをUターンさせて地球にもどってきたら、ロケットの乗組員はどんなことを地球上で経験するのでしょうか。

じつはこれについてもアインシュタインは理論的な予測をしています。有名な「時間のパラドックス」という論文がそうです。

準光速のロケットで宇宙旅行に出発したロケットの乗組員が、旅行を終えて地上にもどると乗組員の寿命は、地上で生活していた人よりもはるかにのびるとアインシュタインはその論文の中で考えています。つまり、ロケットの乗組員は、かの浦島太郎のような経験をせざるをえない。

A国の宇宙計画で、十人のパイロットと三人の科学者が、銀河系の果ての探検に出発したとします。

かれらは、ロケット内の計画で、二年間でその探検を終えるべく、宇宙ロケットの速度を光速の0.99999999994倍くらいにして巨大な宇宙空間を飛んで目的の星へ行きました。

予定どおり目的の星の探検を終え 行きと同じ速度で地球をめざしました。

この探検の成果は大きかった。その成果を大統領に報告する・・・乗組員のだれもがその光景を胸に描いて地球への長い帰路の退屈をまぎらわしていたのです。

そして無事地球に帰り着きました。しかし、地球上でかれらの見たものは、なにもない廃墟の町でした。人間の姿はどこにもないのです。

じつは地球上ではかれらが出発して数万年の時間がすでに過ぎ、大自然の荒廃のまえに滅亡していたのです。そしてかれらを待ちうけていたのは、やはり死以外にはなかったのです。

アインシュタインの一般相対性理論を物語風に直すとたぶんこうなるでしょう。

では、なぜそんなことが起こるのでしょうか。これから一般相対性原理の世界を探検してみましょう。

                                四次元99の謎 関英男

画像は 県立図書館付近の山桜



4月13日(土)06:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

40 宇宙線が証明する"時間の遅れ"

メスバウワーの実験はアインシュタインの相対性理論の予想を実証するものとして現代物理学の世界では公認されています。

では、宇宙空間の観測結果として、特殊相対性理論の正しさを証明する現象はないのでしょうか。じつは、これもあるのです。それは、二次宇宙線のひとつであるミュー中間子という素粒子を観測して得られるのです。

一時宇宙線についてはすでに述べました。二次宇宙線というのは、宇宙からきた宇宙線が地球の成層圏に到達したとき、空間分子中の酸素原子、窒素原子などと衝突して、その結果生まれた宇宙線のことをいいます。

大気中の原子と宇宙線が衝突すると、宇宙線の正体である高エネルギーの陽子は、二種類のパイ中間子という素粒子になります。

このうち一方のパイ中間子からニュートリノ素粒子とともにミュー中間子が生まれます。この新しく生まれた宇宙線を二次宇宙線と読んでいます。

ミュー中間子の性質はすでに研究しつくされており、それは静止した状態で測定すると生まれてから百万分の一秒後に消滅し、一つの電子とニュートリノ素粒子に変化することが知られています。

つまり、ミュー中間子の寿命は、百万分の一秒のわけです。

そして、この寿命の長さは、外からどんな物理的な力を加えても長くなったり、短くなったりするということはなく、つねに一定であることが証明されています。

ところが、観測してみると常識では考えられないことが起こっていることがわかったのです。すでに述べましたが、ミュー中間子は成層圏でパイ中間子から生まれます。成層圏というのは地上から約十五キロの高さにあります。

また、パイ中間子から生まれたミュー中間子はほとんど光速に近い速度で地上に降ってきます。

秒速三十万キロに近い速度で振ってくることが、地上の観測装置によって確かめられています。そして人間も建物もすべてを貫通して、地中に突入すると止まり、ニュートリノと電子に崩壊してしまうのです。

さて、ここまで述べてきておかしなことに気づかれたでしょうか。

私は先にミュー中間子の寿命は百万分の一秒と書きました。つまり、光の速さで飛んでいるとしても、ミュー中間子がその一生うちに飛ぶことのできるのは〇.三キロのはずなのです。

ところが、実際の観測によるとミュー中間子は成層圏から地上まで約十五キロを飛んでいるのです。

つまり、逆にみれば、光の速度で飛んでいるミュー中間子の寿命(時間)は五十倍に伸びた(時間の経過が五十分の一になった)といえるわけです。

この現象が、特殊相対性理論の正しさを証明する証拠のひとつになることはもう気づかれたと思います。

つまりミュー中間子の時間は、地上の約五十分の一の進み方しかしてなかったのです。

                                       四次元99の謎 関英男                                               



4月12日(金)06:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

39 歩いている人の時計は時間がゆっくり進む

花は咲く 投稿者:新参者 投稿日:2013年 4月10日(水)18時32分2秒

花は咲くはいい歌だと思います。もしかしたらケンさんはコーラスでもう歌っているかも知れないと思っていたら、これは当たりでした。私の属しているコーラスグループでは、これから取り上げようという段階です。

麻の布を使った衣類はないか、近所の衣類のスーパーをのぞいたところ「春の寝具フェアー」というのをやっており、麻100%枕カバーが99円、麻100%掛け布団カバーが490円と破格値で処分売りをしていたので、いくつか購入しました。

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先ほど練習から帰宅しました。 投稿者:けん 投稿日:2013年 4月10日(水)22時25分17秒

相変わらず音外し・・・かな?

花は咲く 新参者さんのことを思いながら歌ってきました~♪
(12日金曜日にミニ発表会があります=落葉松、花は咲く、ふるさとの3曲を披露)

麻を身につけて歌うと音が取れるかしら・・・。)^o^(

蛇足 また一つ年が加算されてしまいました~ (>_<)

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39 歩いている人の時計は時間がゆっくり進む 投稿者:たまきち 投稿日:2013年 4月11日(木)06時12分36秒

新参者さん よかったですね。

昔は母が『ニッパチ』といって 2月と8月は決算期だからお得だよとよく言ってました。
今もきっとそうですよね。

私はお買い特品を「これ私のためにとってあったんだよ。」と自慢するので 娘に「はいはい」と笑われます。



けんさん 地球さんといっしょに太陽さんの○○回まわり達成 おめでとうございます。

どうせ回るなら~歌わにゃ~にゃ~にゃ~(ネコか)

♪~θ(^0^ )( ^0^)θ~♪♪~θ(^0^ )( ^0^)θ~♪♪~θ(^0^ )( ^0^)θ~♪



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39 歩いている人の時計は時間がゆっくり進む

時間が遅れ、空間が縮む、物の質量が増大するというアインシュタインの特殊相対性理論はどうもおかしい。つじつまを合わせるために、むりやり考え出した理論上の仮説にすきないのではないか==と多くの読者は思っていると思います。

たしかに、光に近い速度で飛ぶことのできるロケットを人類はまだ作っていないので私たちのだれもそのことを経験したことはない。また、空間が縮むといってもだれもそれを体験できるわけではない。時間が遅れるといってもそれは理論上のことであって、それを見ることができない。

では、これらのことを実験で証明してみせるということはできないのでしょうか。

じつは、実験した人がいるのです。速度が加われば時間は遅れるというのなら、本当かどうかやってみようじゃないか==こう考えた人がいるのです。

その人はドイツ人のメスバウワーで、その実験はメスバウワーの実験といわれ、千九百五十八年に行われました。

いま、レコードプレイヤーの回転盤と同じ仕掛けの大きな円盤があると考えてください。

中心に近い部分はゆっくり移動し、端の方ほど早く移動するということを私たちは経験で知っています。中心部と端の方の二ヶ所に時計を固定して、回転盤を高速度で回転させます。

そして、速度の早い周辺部の時計が、速度の遅い中心部の時計よりも時間の進み方が遅れていることを確かめればいい、メスバウワーはこう考えたのです。

もちろん、回転盤をどんなに早く回転させても光の速度にはとてもおよばないから、時計の方をきわめて精密にし、一千万分の一のそのまた一万分の一秒の時間の進み方の遅れでも比較的簡単に検出できるようにしました。

それは放射性をもった結晶内の原子核を利用することにより、きわめて正確に時をきざむ原子時計です。

たとえば質量数57の鉄から出るガンマー線の振動数は毎秒3×10の18乗回であるが、これを利用すると10の-11乗秒の時間偏差も見分けられるわけです。

この時計を使って実験してみると、速度の大きさに関係して時間経過の遅れが特殊相対性理論の遅れとまったく一致することが証明された。

歩いている人の腕時計は静止している人からみると理論上遅れているともいえるわけです。

                                 四次元99の謎 関英男



4月11日(木)06:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

38 空間が縮む不思議な世界の探検

一、どんなに強い力を加えても物質は、ある速度をこえることができない。その絶対速度は、秒速約三十万キロメートルの光の速度である。

二、物体が光速になると、短く、重くなる。つまり形を変え、重さをかえる。もちろん時間の経過も変わってくる。時計を光の速度で運動させれば、遅れは目にみえるほどである。

なんどもくり返し出てきましたがアインシュタインの特殊相対性理論の結論の要点をまとめてみました。

これを実際の世界で、もし経験するとつぎのようなことになるわけです。

すこし、ややこしい(正確な)表現をあえてしますので、ゆっくり吟味しながら読んでください。

「地球上の人が測定して、光が五十年間でたどりつくのは五十光年の距離であるが、ロケットが地球上の人の測定した準光速で飛べは゛、ロケット内の乗組員が測定したロケット内の五十年間に、地球上の人が測定した約二千五百光年の彼方まで飛ぶことができる」

ロケットは光速の0.9998倍の速度で飛んでいるのですから、ロケット内の時間の経過は特殊相対性理論によれば、地球上の五十分の一となっているはずです。

もちろん地球上で二千五百年経過したとき、地球上の私たちからロケットまでの距離は二千五百光年ですが、ロケット内の人間にとっては地球上の時間経過の五十分の一、つまり五十年でしかないのです。

早い話が、地球上の私たちは二千五百年も生きられないからみんな死んでしまうが、ロケット内の人は五十年だけしか年をとらないわけです。

ではこんどはロケットに乗ってみましょう。ロケットは光の速さで飛んでいるのですが、ロケットの中の私たちにとっては窓から見える星が、後方へどんどん光の速度で動いているようにみえます。

電車の中に乗っているときと同じです。ほんとは星がうしろにとんでいるのではないか。ロケットの窓から外をみているとほんとに星が飛んでいるようにみえる・・・

そうです!じつは宇宙が光の速度で後方へ飛んでいるのだ!と私たちが考えても一向に構わないのです。すべて相対的に考えていくわけです。

光の速度で飛んでいる宇宙では、時間は地球上の五十分の一に縮まり、距離も五十分の一になります。地球上で二千五百光年の距離にあると信じられていた星も、ロケット内では五十光年先の手のとどくところにあるわけです。

五十年飛べば、その星に無事到着できるのです。

ところで、距離が短くなったり、ロケットが短くみえるということはどう考えればいいのでしょうか。

これは、じつはロケットという物体が五十分の一に縮んでみえるというのは正確ではなく、空間が縮むということなのです。

たとえば紙に描いた十センチの鉛筆の絵は、紙が全体に半分に縮めば鉛筆も五センチになる。これと同じことが空間に起こったと考えればいいのです。

ですから、ロケットが五十分の一に縮んでも、人間も縮む、空間も縮むので問題はないのです。

                                       四次元99の謎 関英男



4月10日(水)08:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

37 四次元空間をついに発見した!

生命力を上げましょう~ 投稿者:けん 投稿日:2013年 4月 9日(火)02時18分9秒

てげてげ より  (^o^)/

http://grnba.secret.jp/iiyama/


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けんさん 生命力を上げる「腎兪(じんゆ)」というツボ わかりやすいですね。
わたし猫背の癖があるので 気がついたとき 背筋を伸ばすことにしていますが
腰に手をあてて親指を後ろにあてて じんゆのツボに力をこめて胸をはり背筋を伸ばすと気持いいです。



37 四次元空間をついに発見した!

この特殊相対性理論は、自然について私たちになにを教えてくれるのでしょうか。

私たち人間は誕生してからこのかた、じつに長い間、過去から未来へと続く時間とともに生きていると信じてきました。時間は過去から未来への流れ、空間は広がりと思い込んで、はっきり時間と空間を区別してきました。ところが特殊相対性理論は時間と空間をまったく同等のものと考えるよう、私たちに要請しているのです。

私たちの知っている速度というのは、進行距離を所要時間で割ったもの。つまり、十メートルを一分かかれば、毎分十メートルというように表します。空間(距離)と時間の相対性(測定した値が変化しない)を認め、速度を出していたのです。ところが、実情は逆で、この自然で一定不変といえるものは光の速度、すなわち速度のほうであることをいま、私たちは知りました。

空間(距離)と時間が最初にあって、この両者の比として速度という物理量が導かれたのではなくて、最初に一定の光速度があって、その絶対性に基づいて、空間とか時間の性質が決められるべきだ、こう考えるわけです。だから、空間が縮んだり、質量が増えたり、時間が縮んだりする性質があたりまえだと考えることが可能になってきたのです。

そして、なにをおいても光速度が絶対的に一定だという空間、それがこの大宇宙であると考える。つまり私たちの考えうる宇宙空間性質を、私たちの認識に従わせるということです。そして、その認識の基本となる量が、光の速度であったといえるわけです。

だから、この地上でどんな巨大な力を加えても縮むことのない、金属の棒も縮まざるをえないのが、いま私たちの知った四次元宇宙、四次元世界の真理なのです。それを実感できるかどうかはともかくとして、理論的には光速に近い速度で運動させれば五十分の一に縮むのです。

またこういうこともいえます。たとえば、一メートルの棒を測って一メートルというのはその両端A点とB点のへだたりの度合いのことです。

もし光の速度が無限大とするならば、ABの長さとはAB間の距離で一メートルということができるけれど、光の速度は有限なのです。

光が無限大の速さならA点とB点を同時に測ることはできるが、有限だとするとA点を見てB点を見るまでに時間がかかったことになる。このとき棒が少しでも運動していると正確に一メートルとはいえなくなる。
条件つきで「A点とB点を同時に観測したとき私は一メートルだった」といわなければ正しくなくなるのです。

結局私たちは、速度の絶対量を知ることによって、これまで信じて疑わなかった空間と時間の絶対性を放棄せざるをえなくなりました。こうして得られた空間と時間が伸びたり縮んだりする世界、これを時空世界あるいは通俗的に四次元世界というのです。では、四次元空間は私たちの敬虔を超える不思議な空間なのでしょうか。

                                     四次元99の謎 関英男



4月9日(火)05:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

36 準光速ロケット内の一分は地球上の五十分

高速度不変の原理は 投稿者:ジュリー 投稿日:2013年 4月 7日(日)11時58分9秒

それを聞いたとき、びっくりするばかりで、よくわかりませんでしたね。


さて

いろは48文字に隠された予言とは?


いちよらやあえ とかなくてしん


を、神道界のある機関誌はこのように解説していました。

いちよらやあえ → いちょら ヤハエ

とかなくてしん → 科なくて死ん


つまり  一方(ひとかた)のヤハエは 科(罪)は無くて 死ぬ

でした

これを解説している人も ???? 状態でしたね

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かくされたことが明るみに出る時代 投稿者:たまきち 投稿日:2013年 4月 8日(月)06時17分7秒

ジュリーさん いろは48文字の暗号は それを解読してくださるということがなければ 普通の人にはわからないのですね。

こどものとき 駄菓子屋に 水にぬらすと字とか画が浮き出る紙をつづったものを売ってて 何が描いてあるか見てみたいなと思いつつ 買わなかった(お菓子買いたい誘惑に勝てなかった)の思い出しました。

小学校のとき 理科の時間かなにかで 何かの成分(みょうばん?)の水で筆で紙に文字を書いて乾かして 見えなくなったものを また 水にぬらして 浮き出させたりした記憶があります。

時の権力者の目を逃れて 後世の真実を知りたいという人に 知らせてあげようという人が知恵をしぼって 暗号が考え出されたからには 解釈の仕方もいろいろあるかもしれない。それが 暗号の暗号たる秘密かもしれないですね。



36 準光速ロケット内の一分は地球上の五十分

いまA地点で、光を出したとします。A地点から私たちは、光と同時に光速ロケットで飛び出したとしましょう。

一秒後には光速三十万キロですから、光速ロケットも光の先と同じところに来ていると常識では考えられますから、一秒後ロケットから前をみても真暗のはずです。

ところが光速不変の原理に従えば、これは誤っています。ロケットからはやはり三十万キロ先を光が走っていることになるのです。つまりどんなに早い乗り物に乗って光の速度を測定しても秒速三十万キロという速度は変わらない。

アインシュタインは、この光の不思議な性質を説明するためには、常識的な時間空間の考え方を修正して、新しい時間空間の考え方をつくらなければならないと考えました。そして、千九百五年に特殊相対性理論を発表したのです。

それは「静止している測定者が、運動している物体の長さ、室利用および物体内の時間的経過野早さを測定すると、長さは物体の運動の方向に収縮し、質量は増大し、物体内の時間の経過はおそくなってみえる。そして、短縮し、増大し、おそくなる率は同じ規模である」というものです。また、短縮し、増大し、おそくなる率は、物体の速度が光の速度に近づけば近づくほど大きくなっていきます。

では、例をあげて考えてみましょう。

地球上のA地点でAさんという人が光速の0.9998倍の準光速でとんでいるロケットを観測しているものと仮定し、特殊相対性理論のままにAさんに観察の結果を述べてもらいましょう。

「まず、ロケットの長さは五十分の一に短くなっています。ロケットの質量は五十倍になっています。ロケットの窓からみえる内部の時計は、もう出発してから五十分もたっているはずなのに一分しか動いていません。」

ではもし、光速と同じ速さのロケットが開発されたらどうでしょうか。

物体の長さはゼロ、質量は無限大、時間経過の速さはゼロとなるわけです。ところが、物理学の法則で、質量が無限大になることはこの自然界では起こりえないのですから、物体にどんなに力を加えても光の速度を超えることはできません。逆にいえば光速が絶対速度となるわけです。

ロケットの話にもどって、時間の経過が五十分の一ということを考えてみます。

ロケットの組員が、ロケット内の時計をみながら一秒ごとに地球に光の合図を送ったとしましょう。ロケット内の一秒は地球上の五十秒に相当するわけです。

いまロケットは準光速で飛んでいます。つまりロケット内での一秒ごとの合図は地球上から見ると百秒間隔の合図になります。

このように特殊相対性理論は測定する者の運動状態によって、時間と空間がまったくちがった様子になることを説明しているのです。

                             四次元99の謎 関英男



4月8日(月)06:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

35 自然は、光の速度を一定不変と決めた?

「光速度不変の原理」とは、等速度で運動しているすべての人にとって、光の速度は一定にみえるということです。

光の速さは、正確に測定されたところによると秒速2.99792×10の10乗センチ(秒速三十万キロ)ですから、高速不変の原理を詳しく言えば、光の来る方向に時速二百キロの車で走っている人が光の速度を測定しても、光から逃げる方向に高速の飛行機で飛んでいる人が光を測定してもその値は(光の速度は)秒速2.99792×10の10乗センチだということなのです。

光の速さは私たちの感覚を超えて速いので、光の速度が日常的に問題になることは少ない。だから、光速が一定だと言っても不思議はないでしょう。しかし、物体の速度の性質を知れば、これが光のおかしな性質を表していることがわかります。

物体の速度というとき、その速度を比較するものを私たちは常に考えています。つまり、高速道路の自動車が時速二百キロとあるのは、地面に対して二百キロの速さという意味です。音波が秒速三百三十メートルというのは空気に対して三百三十メートル、ということなのです。つまり、なにかを媒体として物体の速度は考えられています。それは、たとえば同じ高速道路を百キロで走っている車を基準にして測れば、さっきの二百キロの車の速度は百キロと測定されます。速度を比較するものを変えれば、速度はちがってみえるのです。

ところが、光は、どんなに速いロケットで、その光源に向かって飛びながら速度を測っても、つねに変わらない、一定であるというのがその性質なのです。

ところで、光の速度の対象物はなんでしょうか。物理学者たちはアインシュタインの特殊相対性理論の発表までは、エーテルという仮想物質が空間を満たし、そのエーテルが波動して光を伝えると考えていました。空気が音を波動で伝えるのと同じ発想です。

ところが、アメリカのマイケルソンとモーリーの二人が、きわめて精巧な機械で光の速度を測定する実験をした結果、このエーテルに対する相対的速度はほとんどみとめられないということになったのです。

ところが、当時(千八百八十七年)の物理学者はエーテルの存在を信じていましたから、このマイケルソンとモーリーの実験結果をどう説明したらよいのか戸惑ってしまったのです。

ところが、そこに当時二十六歳の超天才的物理学者アインシュタインが登場して、この物理学者たちの戸惑いに一気に決着をつけてしまったのです。

アインシュタインはだれもがその存在を信じて疑わなかったエーテルについて、それは存在しないと言ったのです。
つまりかれは、この実験がエーテルの存在を否定していると判断し、実験の正当性を受け入れたのです。そして、光は、エーテルの存在を必要とせず、真空の中を伝わっていく性質をもっていると考えたのでした。真空とは、そこに何も存在しない無の空間です。

                                       四次元99の謎 関英男



4月7日(日)05:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

34 高速で宇宙旅行した子猫は親猫にならない

いろは 48文字

ジュリーさん 

ことばって おもしろくて どこまでいくのかなぞが深いです。





34 高速で宇宙旅行した子猫は親猫にならない

私たちはすでに、宇宙の不思議な性質やミクロの世界==素粒子の世界==の奇妙な性質をこれまでの章で経験してきました。そして、それらの世界が、手で触れることのできる実在の世界になじんでいる人間の立場からすると、ありそうもないことが少なくない世界だと感じつつあります。

そう、それはちょうど『ふしぎの国のアリス』物語のアリスにでもなったような気分でしょう。

アリスは眠っている間にたくさんの不思議な事件にぶつかる。彼女のまえには幻想的な場面が次から次へと出てくる。奇妙な小人たちが、わけのわからないことを話し合い、もったいぶってなにかを説明使用としている。しかし、アリスが近よって話を聞こうとすると、小人たちはパッと消え失せてしまい、彼女は突然、別の世界に連れていかれてしまう==。

自然の奥深い本質に近づくためには、こんな経験をなんどもくぐりぬけなければいけないでしょう。

さて特殊相対性理論の話をつづけましょう。

私たちの常識によれば、あと寿命が五十年のパイロットが、自分の一生の間に二千五百光年のむこうにある星に旅行しようと思えば、ロケットの速度を光の速さの五十倍にしなければたどりつくことはできません。光の速さで飛んだのでは五十光年の距離しか飛べない。

ところが実際には、ロケットが光に近い速度(準高速)でもし飛ぶことができるなら、パイロットの一生の間に二千五百光年の距離を飛ぶことができるのです。つまり「光が五十年間でとどく距離は五十光年の距離だけれども、ロケットが準高速度(光の速さの0.9998倍)で飛べはロケットは同じ五十年間にほぼ二千五百光年を飛ぶことができる」ということなのです。

果たしてこんなことが起こりうるでしょうか。とても信じることはできない。もし、これが事実とするなら、次のような奇妙なこともまた事実だと考えなくてはならなくなります。

同じ親猫から生まれた六匹の子猫のうち、三匹を地上に残して、残りの三匹を高速度に近いロケットで宇宙空間に送り出したとします。そして三年後に帰還させたとしましょう。

地球上にいた子猫はもちろんちゃんとした親猫に成長していますが、宇宙ロケットにのせられた子猫はもとの子猫のままであった。つまり高速度で飛んだ子猫は年をとらなかった。これは有名な親猫子猫の思考実験と呼ばれているものです。

準高速ロケットは理論的には実験できますが技術が開発されていないので、実験に子猫で実験することはできませんが、これは動物いがいの物体を使って実験されたことでもあるので、多くの物理学者は正しいと信じています。

これは、アインシュタインの特殊相対性理論で説明することができます。特殊相対性理論は、高速不変の原理と呼ばれる法則がいちばん基礎にあります。それを理解すれば、この子猫の秘密もだんだん明らかになってくるでしょう。それを次に説明します。



4月6日(土)05:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

33 名古屋と京都が同じ場所という不思議


麻の 投稿者:たまきち 投稿日:2013年 4月 5日(金)06時20分34秒

シャツを蒸し暑い日本の夏に着ると スッキリサッパリ感を味わえて幸せです。


ジュリーさん 色は匂えど散りぬるを・・・小野の小町なら聞いてましたが・・・
予言はЮ―(^O^ )知らなかったです。



33 名古屋と京都が同じ場所という不思議

しかし、いきなり「一メートルの棒は十メートルの棒である」ことを承認しろと言っても、それは無理というものでしょう。特殊相対性理論の考え方により近づくために、もうすこし頭をマッサージしてみましょう。

田中君と福田君が新幹線で大阪に行くことになり、東京駅で落ち合った二人は「ひかり」に乗った。空腹になった田中君はビュッフェに行ってビーフシチューを食べた。

しばらくして、こんどは福田君が席を立ってどこかへ行った。帰ってきた福田君に田中君が、「どこへ行ってきたんだ」とたずねると福田君は、「ビュッフェでサンドイッチを食ってきた。カウンターのいちばん前が空いていたから、そこで食ったんだ」と答えた。

すると田中君はニタッとして「なあんだ、ぼくと同じところで食ってたんじゃないか」と言った。
田中君と福田君のやりとりを聞いてみても、私たちは「なあんだ、よくある日常会話だ」くらいにしか思わない。

しかし、特殊相対性理論の考え方を知ったからには、この会話のおかしい点に気づかなければならない。
田中君は「ぼくと同じところで食った」と言っているけれど、じつはこれは同じ新幹線にのっている人間にしか通用しない言い方なのです。

もちろん、まちがっているわけではない。でも、新幹線に乗っていない人から見たらどうでしょうか。田中君がビーフシチューを食べた場所は名古屋で、福田君がサンドイッチを食べたのは京都であると表現するのが正しい答えです。

もう少し極端に考えてみましょう。私たちは東京から大阪へ行くとき新幹線に乗って行くと考えます。果たしてそうなのでしょうか。

新幹線に乗った人間の立場にたてば、列車が静止していて、まわりが動いている。時速二百キロという速さで日本列島が後ろへ動いていると考えてはいけないのでしょうか。

事実に反しているといわれるかもしれません。しかし、事実とはなんでしょう。立場によって、考え方が変わってくると考えてみたらどうでしょうか。

                                 四次元99の謎 関英男



4月5日(金)06:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

32 一メートルの棒は十メートルの棒であるという真理

「一メートルの棒は十メートルの棒でもある」ということを私たちは承認できるでしょうか。

私たちは一メートルの棒は一メートルだと信じて疑わないでしょう。一メートルの棒に熱や力などの物理力を加えて十メートルに引き伸ばすというのではなく、ここにあるこの棒は一メートルであり、また十メートルだというのです。ところがこの命題は正しいのです。どこも誤っていない。

では逆に考えてみましょう。私たちはなぜ一メートルの棒は一メートルであると信じているのか。十メートルではなぜいけないのでしょうか。それは「絶対性」を信じて疑わないからです。物さしという決定的な絶対的尺度で棒の長さを測って、それが正しいと信ずるから、かたくなにこの棒は一メートルだと主張するのではないでしょうか。

そこに少しでも疑いの心があれば、物さしの尺度ははたして正確かどうかと疑う心があれば、この棒は十メートルだと主張する人をバカにしたり嘲笑したりしなくてむすのではないでしょうか。

私たちの社会では常識によく適応できる人、常識的判断、常識的行動のできる人が、もっとも普通で力強くバイタルに生き抜いていくことができるようです。その意味で常識の力は強い。

しかし、これから私たちが考えてゆこうとする世界、時空世界(あるいは四次元空間、超空間)は逆です。認識の構造がまるで違うのです。ですから、常識的な人ほどこの世界では強く驚き、常識的であろうとすればとても生きてゆけないかもしれません。しかし、私たちはともかくその世界に足を踏み込んでしまった。

そこで、私たちの心をまず常識から解き放つこと、絶対性を否定するという考え方に近づくことにしましょう。しかしこれはむずかしいのです。私たちにとっていちばんの難問は、いちど身につけた知識をひっくりかえすことなのですから。

幼稚園にもまた行っていない幼児をつかまえて一メートルの棒をみせて「この棒は一メートルだよ」というとその子は「うん」といって納得するでしょう。

そして少しして「でも、十メートルなんだよ」といっても「うん」というでしょう。じつはこの心が大切なんでするその子にたずねるとこう答えるでしょう。

「ママはさっき右手にもった棒を一メートルだといいました。すこし歩いて左手にもちかえて十メートルだといいました。この棒は一メートルで十メートルです」

では、絶対性を否定して、棒の長さを正確に表現するにはどうしたらいいのでしょうか。つまり棒の長さは、測った人によってそれぞれちがうと考えればいいわけです。

つまり、福田君が測ったところによればこの棒は一メートルであった。田中君が測ったらこの棒は十メートルであった。これで十分なわけです。

福田君と田中君がケンカする必要はない。そして、これらの測定値がどちらも正しいことを認めるのです。もちろん、時間と質量についても同じ考え方をしていきます。

じつは、これがアインシュタインの特殊相対性理論を理解するための第一歩なのです。

                                     四次元99の謎 関英男



4月4日(木)05:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

31 自然の安定を保証するプランク定数の謎

プランク定数はドイツのプランクという人が千九百年ごろ発見したものです。しかし、その定数の意味は発見当時だれからも認められず、相手にされなかった。

しかし、この定数が歴史上の一大発見であったことは千九百五年にアインシュタインが、プランク定数を用いて光子説を発表できたこと、千九百二十三年にド・ブローイがプランク定数を用いて物質波の理論を発表、そして千九百二十五年にハイゼルベルグがプランク定数を用いて不確定性理論を発表し、超感覚の世界の現象を解き、自然の性質を明らかにしたのです。

ではプランク定数が存在しないとなぜ宇宙も人間も存在しえないのでしょうか。原子が存在しえないのでしょうか。それを次に考えてみましょう。

原子の内部では核外電子が飛び回っていることは最初に20で述べました。電子は粒子として、波として、原子の内部で方向を変えながら運動をしていることもすでに述べました。物理学では方向を変えて運動することを、加速度運動といいますから電子は加速度運動をしている。

ところで、加速度運動をする電子は電磁波(ふつう電波という)を放出することが知られています。核外電子も運動をしているので電磁波を出している。電磁波はエネルギーですから電磁波を出し放しだと、つまり加速度運動をしているかぎり核外電子はエネルギーを失ってしまうはずです。

エネルギーを失えば運動速度は落ち、原子核の電気的引力に負け、原子核内に落ち込んでしまう。マクスウェルの電磁波方程式で計算すると一億分の一秒以内に電子は核内に落ちこんでしまう計算になる。つまり原子の構造を失うことですから、原子ではなくなってしまう。

ところが、実際には原子はちゃんと存在し、いまいる私も地球も健在です。それを保証しているのがプランク定数です。電子は電磁波を放出しても、核に落ち込むことのないまま、自分の放出した電磁気エネルギーを自分で吸収して永遠の運動をつづけていくのです。そして、電子にその作用を起こさせるのがプランク定数だと信じられています。
つまりプランク定数は原子を安定させ、自然を安定させる秘密のなにかなのです。

                                 四次元99の謎 関英男



4月3日(水)06:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

30 自然の本質をつきとめた!

今日は 投稿者:けん 投稿日:2013年 4月 1日(月)21時03分8秒

よっさんのお誕生日ですね。

よっさんさん お元気ですか?

この場を借りましてお祝い申し上げます~。

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よっさん 投稿者:たまきち 投稿日:2013年 4月 2日(火)04時07分57秒

お誕生日おめでとうございます。

けんさん あ(^○^)り(^。^)が(^∇^)と(^O^)う(^ー^)ノございます。



30 自然の本質をつきとめた!

29で、ハイゼルベルグの不確定性理論が出てきました。もう一度確認しておきましょう。

(位置の精度)×(運動量の精度)≧プランク定数

少し違っていますが正確にはこれが正しいのです。ここにはじめて出てきたプランクの定数はふつう量子と呼ばれ、「h」というアルファベットで表現されています。

じつはこのプランクの定数こそが自然の本質をあらわす極小の世界のくせもので、現代物理学がつきとめた自然の成り立ちを解く鍵でもあるわけです。

さっきのハイゼルベルクの不確定性理論の式を見てください。もし、プランクの定数がゼロであれば、位置測定の誤差もゼロ。運動量の測定誤差もゼロとなり得まして、これは位置と運動量を同時に正確に測定できることを意味します。そうだとしたら、素粒子が波であり粒子であるという性質は考える必要がなく、素粒子の姿もごく常識的に軌道を描いて飛んでいるものと考えることができます。

つまり、人間が感覚できる世界を小さくしたものが、そのまま素粒子の世界ということになり、話はきわめて簡単なのです。

ところが、超感覚の世界に起こる現象は、感覚世界の法則では説明できないということが、そもそも話しの始まりだったのです。つまり、プランク定数はゼロではないということを私たちはすでに直感的に知るまでにいたっているのです。

プランク定数はとても小さな値で、6.6×10(-27乗)エルグ×秒という数字です。エルグとはエネルギーの単位で、これに秒がかかっていますから、プランク定数のディメンションはエネルギーと時間の相乗関になっていることになります。くどいようですが、言い換えますと、プランク定数に周波数をかけると、はじめてエネルギーになります。そして、それが光子というものなのです。

プランク定数は、なぜ自然の本質を意味するのでしょうか。

自然は、粒子の位置を表す長さ(ある定められた点から粒子までの距離)という量と、同じ粒子の運動状態を表す運動量にひとつの制限を与えたのである。つまり、自然は二つの量のそれぞれには制限を与えず、二つの量の積がある値以下になることを禁じたのです。それが、ハイゼルベルクの不確定性理論から導かれる自然の性質であり、プランク定数の意味だったのです。

具体的に説明しましょう。もし、このプランク定数が自然界に存在しなければ、この宇宙は現在の宇宙とはまるで異質の世界になる。星も地球も太陽も生命ももちろん人間も存在しないのです。プランク定数がなければ、物質を構成する原子の存在が考えられないからです。大宇宙を構成するものは物質であり、物質の源は原子である。つまり原子を原子たらしめている自然の本質が、6.6×10(-27乗)エルグ×秒という数字に表現されているのです。

しかし、このプランク定数が、なぜ存在しなければならないかを現代物理学は証明できません。

つまり、それは造化の神の仕組んだ究極なのです。その秘密は神のみぞ知るところなのです。

                                 四次元99の謎 関英男



4月2日(火)04:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

29 ハイゼルベルクの不確定性理論が示す自然の性質

不確定性理論を頭によくいれるために、次のことを考えてみましょう。

予言==とはなんでしょう。たとえば、ある予言者がいて、かれの予言が百パーセント当たるとします。そして、「三日後の十二時(正午)に、Aさんは渋谷を歩いているとき、石につまづいて大ケガをする」と言ったとします。この予言は当たるでしょうか。

Aさんがこの予言を聞いて、その予言者の予言が当たると信じていれば、Aさんはその日のその時刻に渋谷に行かないようにするでしょう。当然予言は当たらなくなる。

つまり、Aさんは予言者の予言が百パーセント当たると信じたから、渋谷に行かなかった。その結果予言者の予言は百パーセント当たらなくなる。

つまり、予言であるためには多くの人に知らせなければ一般的とならないが、人々が知ることによって予言が当たらなくなるという矛盾を内にもっている。これが予言の性質なのです。

あまり明るくないところで、しかも照明を特別にしないで映画を撮影する場面を想像してみましょう。

まず、絞りをきかせたとしますと、焦点深度が増加するため、その光景にふくまれるすべてのものが高解像度で写るので、いかにもきれいにみえるでしょう。

しかし、フィルムの感度に制限がありますから、露出時間を長くかけなければならず、自然、一秒間の駒数が少なくなり、動作が何とはなしにぎこちなく映るでしょう。

そこでもし、絞りを開放にすれば、フィルムへの光量がふえますから、一秒間の駒数を多くしてもすべてよく感光し、動作の方が正確に記録されます。その代わり、焦点深度が浅く、特定の目標以外 ボケてしまいます。

つまり、動作をスムーズに映そうとすれば、像分解がおちるし、高解像度で映そうとすれば、動きが不連続になります。

これは極端な例をあげたのですが、世の中には多かれ、少なかれ、こんな例が多いものです。あちら立てれば、こちら立たず、といったことは日常生活でよく経験するところです。

ハイゼルベルグの不確定性理論も、素粒子の位置を正確に観察しようとすれば、素粒子の速度を正確に観察することを断念しなければできないという自然の性質を述べたものです。

逆に素粒子の速度を正確に観測しようとすると、素粒子の位置が不明確になってしまいます。

そしてかれはそれをこのように考えたのです。

「位置と速度を同時に観測しようとしますと、どちらもほどほどの精度でしか原理的に測れないもので、ある限界がある」

そしてかれは、物質については正確な位置と速度を知ることができるという私たちの経験的真理を捨て、正確さに限界のある位置と速度を考えたのです。

つまり、位置につきまとう不正確の程度、速度につきまとう不正確の程度のあいだにある関係(法則)があることを発見しました。

(位置の不確定範囲)×(速度の不確定範囲)≧一定値

これがハイゼルベルグの不確定性理論と呼ばれるもので、千九百二十五年に発表されました。つまり位置の不確定性と速度の不確定性の間には、逆比例の関係があります。

さて、この原理で素粒子の世界を探検してみましょう。水素原子をかりにみえるような電子顕微鏡があったと仮定して撮影してみたとします。

そして、無限回撮影を繰り返し、その写真を重ねあわせると電子の示す点はフィルムの上に一様に分布して、雲のようにみえます。

つまり、第一回目に撮影したとき、あるところにあった電子が次の撮影のときどこにあるかわからない。
逆にいえばそのフィルムに描かれた範囲のどこにでもあるということです。

フィルムの範囲が半径一千メートルの円ならその円全体が電子であると言えるわけで、それ以上の細かいことは原理的にわからない、ということなのです。ここのところを先ほどの映画撮影の例とくらべてみてください。

このように不確定性原理は、粒子の概念をすっかり変えました。

つまり素粒子の世界では粒子の運動は雲が高速度で飛んでいるようなものだし、素粒子の姿は空間に広がって進むという性質があるのです。つまり波に近い姿といえます。

素粒子は波であり粒子であるのです。

                              四次元99の謎 関英男



4月1日(月)05:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

28 電子は見ただけで、どこかへ飛んでいく

物質世界の究極にはなにがあるのか。もうすこし探検を続けてみましょう。この大自然の本質とはいったいなにか。核外電子は、なぜ幽霊のように飛んでいるのでしょうか。

現代物理学はこの謎にきちんと答えられます。そしてそれが、自然の本質と深いつながりがあるということも発見しています。それを考えてみましょう。

電子は極端に言えば、いま東京駅にいて同時にスイスのチューリッヒにもいることができる。その確率はきわめて少ないけれども、同じ電子が同時にスイスと東京にいる可能性がゼロではありません。素粒子のこのような奇妙な現象は私たちの常識ではとても考えられない。

これはじつは、自然の本質と深い関係があるのです。自然の本質とはどんなものでしょうか。それを説明したのがドイツの物理学者のハイゼルベルグが考えた「不確定性理論」だったのです。

これは一口に言えば、物体の位置と速度を同時に、正確に測定できるというニュートン力学の考え方は誤っている。自然の性質は、物体の位置と速度を同時に正確に測定できないというところにある。したがって、物体の運動の未来は、だれにも予知できない。すなわち、"不確定"だということを説いたものです。

しかし、これは、超感覚的に小さな素粒子の世界、それもとくに小さい電子などにいちじるしく影響するだけで、人間の感覚できる大きさの世界、ボールなどでは不確定性が問題になるほど大きな影響は出ない。

私たちが物体を観察するということは、物体になんらかの力がはたらいている状態を知るということで、たとえば走っている新幹線を見るということは、その新幹線に、光子が当たって反射している状態を見ているわけです。物体に光子が当たればその物体の運動は乱れるのが普通です。

つまり、どんな物体でも観察することは運動を乱すことにつながり、だからその運動の未来を予測することはできない。

もちろんボールのように大きな物体に光子が当たったくらいでは、ボールの速度は変化しないので、それがどこへ飛んでいくか私たちは正確に知ることはできますが、たとえばゆっくり飛んでいる電子に私たちの眼から出た光子が当たれば、電子の速度はめちゃくちゃになるのです。

つまり、電子を観察したとたん、電子のそれ以降の位置は予知できない、つまり不確定となるわけです。

わかりやすい例をとりますと、たとえば心を考えるとき、自分の心を離れて心を考えなければ一般性が得られない、かといって自分の心を消してしまったら心はわからなくなるという性質があります。これが不確定性ということです。

では、電子の位置と速度を私たちは測定できないのでしょうか。あきらめたほうがいいのでしょうか。そうではありません。ハイゼルベルグは、この自然の性質をとらえて、私たちがこれ以上正確に知ることのできないという限界を見つけ出してきたのです。それを次に述べましょう。

                                四次元99の謎 関英男



3月31日(日)06:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

27 物質はなにゆえに存在しているのか?

さて、科学の世界では「なにゆえに存在するか」という質問を尽きることなく続けていくと、かならず行き詰まります。質問に答えられなくなるのです。

デカルトは存在について「我思うゆえに我あり」という名言を残して、哲学の世界での一つの答えとしましたが、科学の世界ではそうはいかない。

物理学者に、えんえんと質問をつづけて答えられなくなると「それは因果律に基づいているから答えられないのだ。因果律は敗北した」と迷言(名言?)を吐く宗教家もいますが、私はそうとは思いません。答えられないから、答えを求めて新しい理論と実証の探検に出かけていく===これが科学の世界に足を踏み込んだ人間の宿命だとでもいえるのでしょうか。

物質はなにゆえに存在するのでしょうか。それは分子があるからです。分子はなにゆえに存在するのでしょうか。それは原子が存在するからです。原子はなぜ存在するのでしょうか。そこから先は現代物理学の未知の領域です。しかし、強いていえば素粒子を存在させているものはエネルギーでしょう。

ではエネルギーは?ここで、お手上げなのです。ここで答えるとすれば次のようになるでしょう。

「ただ、そういうものが存在すると考えざるを得ない。それがもしなければ、地球も太陽も生命もあるいは宇宙も存在しえないからだ」

このような物の存在の究極的な理由は"謎"なのです。これは科学の限界に広く広くある謎でしょう。しかし、科学はつねに進歩しているのです。現代物理学で解明できない疑問もやがて解かれる日がくるかもしれません。しかし、疑問の解決はあたらしい疑問の創造でもあるのです。

現代物理学のたどりついたものの奥に、さらに高次の原物質といえるようなものがあるかもしれません。しかし、それが発見、実証されてもそれは物質の種類が変わるだけのことでしょう。

科学は「なにゆえに」と考えるよりも「いかに」と考える学問だと言われています。現代物理学は物質の世界の現象がいかに起こるかということを研究しています。

現代物理学はその意味で、物質現象がどのようにして起こるのかということを説明することには成功しています。物質現象に起こる疑問や矛盾を解決する法則、理論を組み立てることには成功しています。

別の角度から考えてみましょう。人間の生命はなぜ存在しているのでしょうか。それは原子が存在しているからです。私たちが生まれてきた理由も、物質がなにゆえに存在しているかというところと同じところに帰っていきます。

では、心はなんでしょうか。それは根本的には大脳という物質の存在理由に帰っていくでしょう。しかし、それは果たしてそうなのか。もしかしたら、私たちの知っている物質世界は実在の物質世界の全部ではなく一部かもしれない。

物質の現象から"心"がなぜ起こるかを説明できない理由は物質世界の知識が不足しているからわからないのかもしれない。ちがう物質世界と法則があれば、理解できる範囲も広くなるかもしれない。

                            四次元99の謎 関英男



3月30日(土)06:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

26 原子の構造は常識を超える謎を秘めている

話をふたたび最初にもどしましょう。私たちは素粒子が粒子の像と波の像をもっていることをすでに知っています。では、もし超高性能の顕微鏡が発明されて、原子を見ることができるとすれば、それはどんな姿をしているのでしょうか。

ところが、物理学者は原子の構造を顕微鏡で見て知るという方法はすでに放棄しています。
原子の構造が、私たちが"構造"という言葉でイメージするようなものではないということを知っているからです。

では、原子の構造を知ることは私たちにはできないのでしょうか。そうではないのです。現代物理学は、量子力学と呼ばれる理論でその構造を完全に知っているのです。

教科書とか新聞によく原子の絵がのっています。中央に原子核があり、その周囲を電子がまわっている。じっさいに原子をみると、あの絵のようにみえるはずだと思っている人が多いのです。そして、極小の世界も太陽系と同じ、宇宙的構造をしているとイメージしてしまうのではないでしょうか。これはとんでもないまちがいなのです。

まず第一に、原子核の大きさは原子の直径の十万分の一くらいですから、原子全体の絵の大きさが、教科書などのように十センチくらいの直径だとすると原子核はその十万分の一の大きさにしないと正確ではない。それは、点よりももっと小さい。

第二に、原子核の周囲にある電子は、模型図の絵のような軌道を描いていないし、またどんな軌道も描いていない。電子(核外電子=素粒子)が粒子の像と波の像の二つの性質をもっていることを考えてください。

では、どんな姿をしているのでしょうか。

ここでは、核外電子が一つしかない水素原子を例にとってイメージしてみましょう。水素原子の拡大写真を、いかなる障害もなく完璧に扱ったとします。もし電子が粒子なら、連続的に何千枚もの写真をとりそれを透視すると軌道がみられるはずです。

ところが予想に反して、電子はまったく法則もなく射撃の標的の弾痕のような分布を示すのです。中心の黒点が原子核で、その周囲に無数の黒点がうつる。その無数の黒点が核外電子の像なのです。これらの電子は、また、光のエネルギーを外部からうけると原子核から離れ、エネルギーを放射するとそれに近づきます。

もちろん、これはほかの原子でも同じはずです。では私たちはなぜ太陽系のような原子をイメージしたのでしょうか。それは、感覚世界の常識をむりに超感覚世界に当てはめたからです。

ニュートン力学によれば物体の運動はつねに一定の法則に基づいて行われる。これは一定の軌道を描くということで、私たちの常識になっています。ところが、核外電子は運動しているのに一定の軌道がないのです。言ってみれば、幽霊のように、あっちこっちに同時に存在するという運動をしているのです。

私たちの常識はここでも破壊されました。しかし、ニュートンも言っています。
「私たちは真理の大海のまえには、浜の一粒の砂ほどの存在にすぎないのだ」と。

                              四次元99の謎 関英男



3月29日(金)05:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

25 光の正体は何かを考えてみると・・・

光が光子の固まりであるというアインシュタインの説は、光電効果を説明するのに役立ちましたが、では光が光子であるという発見はわたしたちになにをもたらしたのでしょうか。

じつは、この発見は、私たちの日常生活のうえに多くの実用的なメリットを与えています。

ジェームス・ボンドが活躍するフレミングの「007」シリーズの映画なんかをみてますと、人間が前に立つだけで自動的に開閉するドアが出てきます。映画の中だけでなく、ホテルなどでも人が近づくだけで自動的に開閉するドアにお目にかかることがあります。また、手をだすだけで自動的に水の出る蛇口とか乾燥機。これらの装置に利用されているのが光子なのです。

自動ドアには光電管またはホト・トランジスタが用いられている。光電管は光電効果の原理を利用して、光の強弱を電流の強弱に変えるもので、人間が光をさえぎって光電管に入る光のエネルギーを小さくすれば、電流が弱く流れてドアを開き、さえぎるものがなくなれば強い電流が流れてドアが閉まる。つまり、光のエネルギー(光子の量)を電流の強弱に変換する装置のわけです。

また、テレビ局のスタジオのテレビカメラにも光子が生きています。つまり、スタジオの光の映像を光電効果を利用して電気シグナルに変換するイメージ・オシルコンがそれなのです。このように光の粒子としての性質は多くのところで役立っています。

ところで光とはなんでしょうか。光は波の姿と粒子の姿という二つの顔をもっていることを 私たちは知りましたが、私たちに姿をみせないときの光とはいったいなんでしょうか。光は私たちにもっともなじみ深いものなのに、光とはなにかを考えてみると、なにもわからない。

物理学者たちは、光が波であり粒子であるという性質からほかの素粒子とは区別して準素粒子と考えるようになりました。

ところがこれは、素粒子を粒子の極小のものと考えていた時代の偏見だったのです。光子が準素粒子とされて約二十年後、すべての素粒子は粒子であり波であるという光と同じ性質であることがわかったのでした。もちろん、光子は光速度で進みますが、その他の素粒子は理論上、光速度に到達することができません。

                                      四次元99の謎 関英男



3月28日(木)05:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

24 光が波であるという信念は敗れた

光は波でしょうか。粒子でしょうか。

いきなり妙な質問をするようですが、これまで光は波であると信じられていました。光は直進するが、その姿は波動であると考えられていました。ところが、この疑問に挑んだのが、かのアインシュタイン博士だったのです。それには、ひとつのきっかけがありました。千八百八十八年ハルワックスという人が、光を波と考えたのではどうしてもおかしいある現象を発見したのです。

良導体の金属の内部には、自由に動く多くの電子があります。この電子は自由電子、電子ガスと呼ばれている。この金属に光を照射すると、金属内の表面にある電子ガスが光のエネルギーを得て、金属の外へとび出してくる現象があり、これを光電効果と読んでいます。

光が波であるとするなら、波のエネルギーは振幅の大きい波ほど大きいという性質がある。すなわち明るい光ほど振幅が大きいはずで、エネルギーは大きい。では波である光が電子ガスの一つに当たれば、電子は波間にただよう小舟のように金属からとび出していることになる。明るい光を当てれば当てるほど強いエネルギーでとび出してくることになります。

ハルワックスはこう考えて実験をしてみたのですが、結果はまったくちがっていたのです。つまり明るい光をあてても、暗い光をあててもも光のエネルギーとはまったく無関係に電子はとび出してきたわけです。明るい光だからといって、電子のエネルギーは大きくならなかった。

この光電効果についてアインシュタインは千九百五年に、論文を発表し、光は粒子であると主張したのです。これは、アインシュタインの光子説と呼ばれています。

アインシュタインによると光のエネルギーは、多数の固まりとして飛んでおり、その光のエネルギーの固まりをかれは光量子(光子)と呼びました。

つまり、光の明るさとは、光の中の光子の数に比例して大きくなるということになります。光子説で光電効果を説明すれば、光電効果は、エネルギーを電子に与えてそこで消滅。そして、電子は光子のエネルギーを受けて金属の中からとび出す。だから、明るい光を当てれば当てるほど多数の光子が電子にぶち当たり、とび出してくる電子の数はふえるが、一つ一つの電子のエネルギーとは関係がない。こうなるわけです。どんなに明るい光を当ててもエネルギーが小さければ、一個の電子もでてきません。

私たちの感覚できる光の中には、無数の光子がある。一つの光子のエネルギーはとても小さいものですが、数が少なくとも三個以上であれば私たちは感覚でとらえることができるわけです。このエネルギーは光の波長と関係をもっています。

アインシュタインは、有名な相対性理論ではなくて、この光電子説で千九百二十一年にノーベル物理学賞をうけました。

                                       四次元99の謎 関英男



3月27日(水)06:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

23 素粒子は、波であり粒子であるという矛盾

携帯電話と麻の布 投稿者:新参者 投稿日:2013年 3月25日(月)16時33分0秒

携帯電話からは破壊的波動が出ていますが、麻の布1枚かぶせることで防げるという話がありますのでご参考まで。ちなみに私は携帯電話を持つことはやめました。

http://all-one.jimdo.com/掲示板など/麻について/

 出てきたブログの/掲示板など/麻について/を選んでください。

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麻布は愛の布 投稿者:たまきち 投稿日:2013年 3月26日(火)05時25分20秒

こども時代から大人になるまで 夏は麻の蚊帳の中で寝ました。蒸し暑い夏の夜 蚊帳の中に入るとひんやりとするだけでなく なぜか心地よく熟睡できたような気がします。
麻布に包まれた携帯さんもきっと気持よくなるだろうな~なんて思いました。



23 素粒子は、波であり粒子であるという矛盾

私たちの頭には、原子核を構成している陽子と中性子、そして核外を飛んでいる電子のモデルが描かれたと思います。そして、原子を構成している素粒子が"粒子"であるというイメージも得られたと思います。ところで、これらの素粒子にはどんな性質があるのでしょうか。私たちの常識からすれば、たとえば核外電子が飛んでいるといえば、米粒よりはるかにはるかに小さいけれど粒子が鉄砲の玉のようにある軌道をもって飛んでいると思うのではないでしょうか。陽子も中性子も野球のボールのように進むものだとイメージするにちがいありません。

ところがじつは、これらの素粒子は私たちの常識を越えた奇妙な性質をもっているのです。というのは、素粒子はあるときは波の姿で現われ、あるときは粒子の姿で現れるのです。波と粒子の姿があまりちがわないものなら問題はないけれど、波と粒子は両極端の相反する性質を持っているからやっかいなのです。波は、ある一点からあらゆるほう方向に広がっていく性質をもっています。弾丸はそうではない。

つまり、素粒子の姿とは、粒子であってしかも波である。これが不思議でなくてなにが不思議といえるでしょうか。しかし、私たちはこの素粒子の姿を見ることはもちろんできない。

波は、音波や電波を考えてもわかるように、空間に無限に広がる可能性をもっています。たとえば光は、すくなくとも波長の何万倍もの空間に広がっていきます。じっさいには、波には厳密に考えて大きさというものは考えられません。どこまでも広がりつづける性質があります。

これに対して粒子は大きさが有限です。波の広がりと比較すればきわめて小さくなります。池に放り込んだ石と水面の波の大きさを頭に描いてください。とくに素粒子はその大きさは一兆分の一センチ以下という超極微の物質ですから、波と比べるととても小さい。粒子像と波の像の素粒子の姿はこの事実を考えればすぐ直感的にわかります。大きさ一兆分の一センチの素粒子が運動すればシャープな軌道が描かれる。ところが波であればそれは広い空間です。この二つの性質が、素粒子の性質なのです。じつにおかしな話ではないですか。

                                 四次元99の謎 関英男


 



3月26日(火)05:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

22 原子の構造と素粒子のことをまず知ろう

地震雲 投稿者:新参者 投稿日:2013年 3月24日(日)12時26分25秒

地震雲について

http://kumobbs.com/cloud/obi.html

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013032201017

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ソフトランディング 投稿者:たまきち 投稿日:2013年 3月25日(月)06時59分32秒

最近 外国で パイロットが 巨大な帯状雲を発見した記事を見た覚えがありますが 日本でもあったんですね。

フライト歴20年以上の機長さんが始めて見たという巨大な帯状雲は 海面から約240メートルの高さにあり、幅は約1.8キロ、厚さ約500メートルで 見えるかぎり10キロ以上の長さで続いていたというのですね。すごい考えられない雲さんですね。

地震雲さんでしたら 不断の準備と 深いところでは油断せずに冷静でいたいと思いました。


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22 原子の構造と素粒子のことをまず知ろう

広島・長崎に落とされた原子爆弾、ビキニの核実験などで原子の名はひろく知られるようになりました。そして、原子は、中心に原子核があり、その周囲を電子がまわっていると説明されるようになりました。教科書の説明図などに描かれているものです。

原子の中に原子核が存在することを発見したのはイギリスのラザフォードという科学者で、千九百十一年のことです。

そして、原子核は陽電気を持っており、その質量は水素原子のばあい、電子の二千倍ほどあることも確認されました。原子核はこのように質量が大きいので、もし一立方センチメートルの箱の中に原子核だけをぎゅうぎゅうに入れるとじつに一億キロくらいの重さになるわけです。ですから、電子の質量はほとんど問題にならないくらい軽いので、原子の質量とは原子核の質量をさすということになっています。

原子核は、陽子と中性子と呼ばれる二種類の粒子が何個ずつか強く結合してできたものです。この陽子と中性子を核子(ニュークレオ)と呼んでいます。陽子と中性子はその質量がほぼ同じで、陽子は陽電気をもっていますが、中性子は電気的に中性です。そして、陽子と中性子、陽子と陽子、中性子と中性子は原子核の内部で強く結合して、はげしい運動を展開しているのです。

ところで、自然界には原子が百三種類あります。その中でもっとも軽いのが水素、いちばん重いのがウラニウムです。では、原子になぜこんなに種類があるのでしょうか。それを決めるのは原子核内の陽子の数なのです。陽子の数が一のものが水素、二がヘリウム、三がリチウム・・・となるわけです。原子の原子番号とは陽子の数のことで、一というのは水素のことです。

ところで原子は電気的に中性ですから、陽電気を持った物質が必要。それが電子で陰電気をもっている。電子の数は、陽電気の数と同数です。以上が原子の構成員です。すなわち陽子、中性子、電子がそうです。この三種類の粒子は総称して、素粒子と呼ばれます。話がだいぶ教科書のようにかた苦しくなりましたが、原子の基本的構造は知っておかなければいけません。

                                    四次元99の謎 関英男



3月25日(月)07:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理


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