お日さまとお月さま
 
幸せな地球さんを見ました 
 


関英男博士

21 物質の世界の巨大な謎を求めて

想像を絶する巨大な時間と空間の大宇宙の探検をひとまず終え、こんどはもうひとつの超感覚の世界、極微の素粒子の世界に足を踏み込んでみることにしましょう。

宇宙について思いをめぐらしてみると、次から次へと新しい疑問が出てくることを私たちはすでに第二章で経験しました。それでは、私たちが手で触れることのできる身のまわりの世界、感覚できる世界はどうでしょうか。手を伸ばせば触れることができるのですから、宇宙を考えたときのように巨大な時間を考えなくてもよさそうですし、空間もそれほど大きなスケールではないのですから、"眼にみえない"という性質をのぞけばそれほど手ごわい相手ではないように思える。

科学についてすこしばかり知識のある人なら、だれでも物質が元素か化合物であるということは知っています。元素とは一種類の原子でできており、化合物は多種類の原子でできていることも常識のうちでしょう。

なーんだ、と早合点するのはいけません。私たちが信じて疑わなかった、常識の通用しない世界を探検するのが、この本の大一の目的だということを忘れないでいただきたい。

私たちがよく知っている物質の世界の内部にも宇宙よりはるかに大きな秘密と謎がある、それをこれから考えていくのです。

まず、物質とはなにか、どのような構造になっているのだろうか。物質は、幾種類かの原子結合をして分子をつくり、その分子の集合体である。したがって、物質の性質を持った物質の最小の構成単位は分子で、これを理論的に明らかにしたのがイタリアのアボガドロでした。

もちろん物質の中には分子をつくらず一種類の原子だけで成り立っているものもあります。
それは鉄、アルミニウムなどの固体の元素です。

では物質の最小単位は原子なのでしょうか。じつはそうではなかったのです。イギリスのJ・J・トムソンは電気力が分子や原子を二つの部分に分割することを発見しました。その二つのものの一つが陰電気を持った電子、もう一つは陽電気をもち、イオンと名づけられたのです。

                               四次元99の謎 関英男



3月24日(日)07:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

20 宇宙線・星・生命の切っても切れない宇宙的関係

宇宙に科学のメスを入れ始めたころから、正体不明の神話のような放射線が、宇宙のどこからか地球にやってきていることが知られていました。この放射線が、宇宙線と呼ばれるようになったのは千九百十二年ドイツのヘスの研究があってからで、その後の研究で宇宙線は人間の頭の中でも、厚い鉄のカーテンでもスイスイ通り抜けてしまう超高速の放射線と信じられていました。現在では、宇宙線の研究はとてもすすみ、それが宇宙空間を高速度で飛びまわっている陽子であること(正確に言えば、陽子のほかにヘリウムとヘリウムより重い原子の原子核も混入している)、銀河系の中心から飛んでくること、それは星の爆発によって発生していることなどが明らかにされています。銀河系の半径は約五万光年とされているのですから、その渦巻いている銀河小宇宙から、他の星の通信が地球に送られてきているのです。じつに、雄大な感覚を私たちに知らせてくれるではありませんか。もちろん、宇宙線を直接に感覚することはできませんが・・・。

宇宙線の一部は太陽表面の爆発で発生することも知られていますが、大部分は寿命を終えた星が大爆発するときに発生する。星が爆発すると、星を作っていた物質はイオンと電子の混合ガスであるプラズマとなって周囲の空間に拡散していきます。そして、それといっしょに、高エネルギーの陽子、電子、原子核が放出され、このうち陽子と電子が誕生した宇宙線なのです。

この発生したばかりの宇宙線はまだそれほどおおきなエネルギーをもっているわけではありません。宇宙線は宇宙空間を飛んでいるうちに、プラズマ雲や星間物質によって発生した磁場の雲と衝突し、そのたびに速度を増しエネルギーをたくわえていきます。この現象はフェルミ加速と呼ばれている。
宇宙線は、こうして何百万年も何千万年ものあいだ宇宙空間(銀河系ハロー)内を放浪し、そしてエネルギーをたくわえたものの一部分が地球を訪問しているのです。

では、地球に届いた宇宙線は、私たちに何か影響を及ぼしているのでしょうか。じつは、生活に影響のあるようなことはまったくありません。ただ、遺伝情報を組み替えて突然変異を起こさせるのではないかと疑われています。

これはショウジョウバエをつかった実験結果もあるくらいですから、かなり信憑性がある。ショウジョウバエは一回の世代が短期間で終わるので、遺伝の研究に利用されますが、このショウジョウバエを宇宙線の強くふりそそいでいる高山の上と比較的ふりそそぐことの少ないトンネルの中に分けて調べると、高山の頂上に住むハエに圧倒的高率で突然変異が確認されたわけです。ついでながら、遺伝情報というのは、染色体のDNAというらせん状の分子の中のアデニン、チミン、シトシンおよびグアニンという四種類の分子の配列によって表現されていることが分子生物学の力で明らかになっています。これらの分子の結合(配列)の仕方には、水素の核外電子が重要な鍵をにぎっているのですが、宇宙線はこの電子を攻撃することによって、四種の分子の配列を変え、親から受けついだのではない突然変異の遺伝情報を作ることになるのです。

人体に有害なほどの強力な宇宙線は、ほとんどないと考えていいわけですが、たとえばアメリカのニクソン大統領が何かを考えているとき宇宙線がその頭脳に命中すれば、その考えを変えてしまうという可能性は否定できないし、人間の突然変異、種の進化に影響力があるということも可能性としては考えられるでしょう。ただ、その因果関係をはっきりさせるとなると、たいへんな研究が必要となってきます。

いずれにしても、地球が宇宙空間にあり、その上に生きている人間も、宇宙の営みと無関係にあるわけではなく、星の生・死、宇宙の運動などのおおきな支配のもとに存在しているということが、読者のみなさんにも漠然とイメージされてきたのではないでしょうか。

             四次元九十九の謎 関英男



3月23日(土)05:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

宇宙がおもしろいです

宇宙がおもしろいです 投稿者:ジュリー 投稿日:2013年 3月21日(木)09時26分11秒

たまきちさん

宇宙が興味深いですね。

私は別の角度から宇宙創世の歴史を、聞いた事の範囲内ですが書いてみようと思います。

さて、世界が経済的に統一されて、精神的,スピリチュアル的には日本の古神道が世界をリードして行く様はなかなかイメージ出来ないものですね。

そもそも古神道って何なんでしょう。

実は私も古神道は分からないのですが、なんとなくではありますが、自然(神)と一体となった生活をすることを古神道と言っているのでは、と思っています。

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膨張する宇宙の中心は/ 投稿者:新参者 投稿日:2013年 3月21日(木)17時13分22秒

宇宙の話、面白いです。ありがとうございます。題名が「四次元99の謎」なので、今後どんな話が出るのか楽しみです。
「膨張する宇宙」俄然面白くなってきました。夜空はなぜ暗いか、もし膨張していなければ白夜になってしまう「オルバースのパラドックス」。星が遠ざかっていることは「光のドプラー効果」「フラウンホーファー線」のずれでわかるなど以前本で読んだことがありますが、Google検索で調べたりしました。
ところで、膨張する宇宙の中心てどこにあるのかわりません。中心方向が明るく見えるはずと思って夜空を見ても、天の川を別にして、夜空の明るさ、星の分布は満天変わりないように思われます。膨張するには、宇宙内の各点で膨張する方向があるはずで、それは中心から遠ざかる方向と思いますが、上記のように、中心が分からない。Googleで検索しても、色々意見がありますが、ピンときません。

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宇宙がおもしろいです 投稿者:たまきち 投稿日:2013年 3月22日(金)05時03分40秒

ジュリーさん ありがとうございます。

なんにも残らなくてサラになるのなら人生は意味なんてないと思いましたら きっと 自分の歴史は 時空にプリントアウト(記憶)されてるのかもしれませんね。逃げも隠れもできないのでしょうね。
自然と一体になる道を生きたいものだと思いました。



新参者さん ありがとうございます。

私は 宇宙は暗いのに 地球は青く光ってみえるのが不思議でした。これって光があたってるんですよね。私あたりまえのこと聞いてる変な人かな。

天然ボケですが わからないものはわからないと 開きなおってこれはもう年の功?です。

宇宙の中心はどこか

これって 私の心はどこにあるかを知りたいと思うことに通じるような気がしました。



19 太陽の燃え尽きる日は、いつか

誕生のあるものには寿命があり、やがて死滅する。太陽や星の寿命はどれくらいなのでしょうか。太陽もいつかは燃え尽きてしまうのでしょうか。そのとき、人類はどうなるのでしょうか。

太陽の寿命は、五百億年説と七十億年説の二つがもっとも有力です。

太陽の質量は、二千兆×一兆トン(2×10(の27乗))と計算されており、毎秒六億六千万トンの水素原子を核融合しながら質量が毎秒約四百万トンずつエネルギーに変わっています。この状態がこんご単純に続くとすれば、計算上約五百億年間は燃え続けると推定できるわけです。しかし、太陽が巨大なエネルギーを放出し、内部で想像を絶するるつぼの運動をしていることを考えれば、いまと同じ状態で、燃え尽きるまで存在し続けるとは、とうてい考えられないでしょう。

そこで、天文学の力を借りて、"星の一生"についてすこし考えていきましょう。

星(恒星)は、全水素の十五パーセントをつかうまでは、同じ状態で燃えつづけ、十五パーセントを越えると水素をつかう量が急速にふえると考えられています。そのため星の温度は急上昇し、大きさももとの五十倍から百倍になってきます。これが赤色に光る赤色巨星と呼ばれる星です。

赤色巨星の状態で、水素の六十パーセントをつかうとこんどは温度が下がり始め、内部の圧力が減少するので収縮が始まります。収縮がどんどんすすむと星の体積が小さくなり、密度が高くなり温度が上がって白色に光始めます。これは、白色矮星と呼ばれます。

白色矮星は老年期の星で、その星はやがて、水素を使い果して光を失った黒色矮星となって死滅するか、最後の大爆発を起こして散っていくか、いずれかの道をたどってゆくわけです。

このような経過をたどって星の一生を考えると、これから七十億年くらいで太陽は燃え尽きてしまうということになるわけです。

では、そのとき地球の生命、人類はどうなるのでしょうか。太陽の死は、太陽系の死を意味しますから、人類は消滅してしまうと考えるのが普通でしょう。もっとも最低七十億年後としても、はるか先のことになるわけですが、それにしても地球の消滅、人類の消滅はなにか信じられない気がします。悲観的にみれば、生命の消滅しか考えられませんが、そこをもっと楽観的にイメージをふくらませられないものでしょうか。少し考えてみましょう。

私は、太陽が消滅しても人類の子孫は生き延びると信じています。そのわけを簡単に言います。

七十億年後ともなると人類の技術はとてつもなく進歩しているはずです。その時には、人類は、DNA以上の人類の遺伝情報、生命情報を盛り込んだなにものかを生み出し、それを光あるいは重力波、いやもっとずっと光より速いタキオンにのせて、地球以上に豊かな他の天体に運ぶことができるだろう。その新しい"地球"で、ふたたび人間の生命が開花するにちがいない、こう考えるのです。宇宙を考え始めると、私たちの思考は、とどまるとこを知らなくなるようです。

                               四次元99の謎 関英男



3月22日(金)05:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

18 星の誕生の秘密を明らかにすると・・・

宇宙の発生については、膨張宇宙のアイディアにもとづいて、可能なイメージが浮かんできました。それでは、話をもっと具体的で科学的なものとするため、星の誕生について考えてみましょう。星の誕生と死滅は、観測できる宇宙空間で、現在もたえまなく起こっています。

すでに述べたように、アルフェン、ベーテ、ガモフのαβγ説によれば、原子宇宙における物質はすべて、極端な高温高密度の中性子でした。しかし、故林忠四郎博士は一九五十年これに修正を加えたので、現在では純粋な中性子ガスはありえないことになって、これは「α-β-γ-林の理論」といわれます。

すなわち膨張開始三十分後の宇宙は軽元素を生ずるくらいの比較的低い熱核反応の臨界温度に下がり、そこには光以外の二種類の素粒子が渦巻いていました。それは、電子と陽子なのです。この電子と陽子は、電気的引力で互いに引っ張り合い、質量の軽い電子が、質量の重い陽子の周囲をとびまわり始めた。つまり月と地球の関係と同じように考えればいいでしょう。

電子は陽子に縛られた形になり、最も軽い水素原子が形成されました。こうして宇宙に最初の原子が誕生し、やがて宇宙の冷却とともに、水素原子が結合し、水素分子ができる。そして無数の水素原子と水素分子がガス状で、宇宙空間にぽつん、ぽつんとただよい始めたのです。

このぽつん、ぽつんの水素ガスの雲は、周囲にある水素原子をつぎつぎに吸収し密度がどんどん高くなっていく。やがて密度の高くなった水素ガスの雲は、自分の万有引力で、体積を収縮し始め、やがて固まりの中心はガス状でありながら、鉛よりも密度の高いものになります。密度の高いものは、温度が上昇し、やがて一千万度以上となります。地球の中心部も密度が高いので、燃えていることを思い出してください。

これが、星の誕生の第一歩の大まかな姿といえるでしょう。一千万度以上の高温の状態では、水素原子はものすごい速度で運動するという性質をもっています。そこでは、水素原子どうしがぼんぼんと衝突し、それはやがて四個の水素原子核を一つの原子核に融合させて、ヘリウム原子核をつくる。

この現象は、ふつう核融合反応と呼ばれ、この現象が起こるとき、とてつもない大きなエネルギーが生まれます。水爆が、この核融合反応を利用したものであることを知れば、そのエネルギーの巨大さが想像できるでしょう。核融合反応までたどりついたとき、大宇宙に星がひとつ誕生し、光を出し始めるのです。星に命の火がともされました。

太陽や星が五十億年もの間、たえることなく輝き続ける秘密は、じつは長い間謎でした。しかし、人類の叡智が核融合反応の発見にたどりついたとき、なるほどと初めて理解できたのです。太陽の表面温度は観測の結果から推定すると約六千度、中心部分の温度を計算すると千九百万度、大部分の星もほぼ同じでしょう。この温度は核融合に十分な温度で、太陽や他の星のとてつもなく大きなエネルギー源が核融合反応だと考えてよいでしょう。

四次元99の謎 関英男



3月21日(木)06:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

17 宇宙の創生の秘密は永遠の謎か

宇宙の発生をゼロのところから考えることはできるでしょうか。すべての物質の発生はもちろん謎につつまれています。生命の誕生、水の誕生、空気の誕生、星の誕生、そして宇宙の誕生。

私たちの常識からすれば、最初はなにもなかった。そして生まれた。その間の謎を埋めることはできるのでしょうか。

"宇宙の卵"以前の誕生を、どう考えることができるのでしょうか。膨張宇宙のアイディアに基づいて考えると、宇宙の"発生"は、いまから百億年以上あるいは一千億年くらいまえと考えられます。そのまえはともかく、真空でなにもなかったと想像されます。

ここはもう科学的には触れることのできぬ世界ですからイマジネーションを働かせて考える以外にない。たとえば、聖書の天地創造などを手がかりにして考えてみましょう。

聖書の創世記によると「光あれとのたまいき」と書いてありますが、ともかく最初は真空のようになにもなかったところに、光が出たと考えられます。

ともかく、光が出たのです。その光が物質の源の素粒子をつくったのではないでしょうか。

現代物理学の世界でも、真空の中にガンマー線を送ると、そのガンマー線の中から電子と陽電子が出てくることが確認されています。真空というのは、ともかくなにもない世界とされているのですから、なにもないところに電子が生じることになる。

じつは、真空にもなにかがあって、そこにガンマー線をいれてひっかきまわすとそこに素粒子が出てくるということなのです。

ガンマー線とはちがう光を入れると、陽子とか、中性子などの素粒子が出てくるものと想像されます。これをもとに考えると、最初の無のところに、突然光が出て素粒子が生まれたのではないか、と思えるのです。

この光は、天地創造の神が出したものだとしか説明できませんが、ともかく無数の光が走って、無数の素粒子が発生したと考えるといいでしょう。

それらの素粒子が集まって、宇宙の卵を形成し、16で述べたアルフェ、ガモフ、ベーテの"βγ説"のようにして、元素を形成したと考えられるのではないでしょうか。

ともかく、現代の科学の力では、五十億年以上も前の宇宙の姿は明らかにすることはできません。黒いベールにおおわれており、考えるとすれば想像するしかないのです。

これについてガモフ博士は、宇宙の発生の時点すなわち宇宙が収縮の最高点にあったとき、宇宙の物質は超高温状態になっており、そこにはもはや原子は存在せず、超高密度の素粒子の渦巻きのみしかなかったと説明しています。

そのためそれ以前の宇宙の姿を語るいっさいの跡は、超高温の渦巻きの中で焼きつくされてしまった、だからどんなに考えても、どんなに手をつくしても宇宙の創生を語る材料は存在しないだろうと言っています。

古事記にある宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこち)の神という神様はこの超高密度の素粒子の渦巻きのおこる寸前の模様を神格化したものではないか、とも想像されます。

                                       四次元99の謎 関英男



3月20日(水)06:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

16 宇宙の卵(原始宇宙)になにが起こったか

宇宙について、このようにいろいろと思いをめぐらすと、頭がじつにさわやかに回転するのが感じられます。宇宙的スケールのファンタスティックな時間の中に、私たちは踏み込んでいるからです。膨張する宇宙==にもう少しとどまって、想像をめぐらしてみましょう。

これまで説明してきた宇宙像をここでもう一度まとめてみましょう。現在の宇宙空間の形がどんなものかはともかくとして、体積は半径が五十億光年以上の球体よりも小さくはない。もし、宇宙空間の体積が無限大でなく、そのうえアインシュタインの予想に反してどこまで行ってもプラスに曲がらないとしたら、その場合には果てがあることになります。

では、素朴な疑問にかえって、この場合、宇宙の果てには、何があるのでしょうか。

じつは、この質問に物理学的に答えることはできないのです。あえて言うなら、果てにあるものは物理学的方法では確認できないなにかとしか言えません。物質と空間の存在しない宇宙の果てに、なにものかが存在するということは、ともかく考えられないとしか言えないのです。

では、こんどは逆に考えて、宇宙が膨張をする前の状態宇宙の卵とでもいえる原始宇宙については、どんなことが考えられるでしょうか。

これについては一九五十年に、スウェーデンのアルフェン博士、アメリカのベーテ博士、ロシア生まれでアメリカに渡ったガモフ博士の三人の名前で発表された元素の起源に関する"αβγ説"がヒントになるでしょう。

その理論によりますと、原始宇宙は、ものすごい高温高密度で、物質はすべて中性子であったとされています。そして、膨張を開始した最初の五分間で、物質は完全に電離して、陽子と中性子と電子の混合物となった。

その五分間ののち宇宙は陽子と中性子が結合できるほどの温度にまで冷えて、重陽子、三重陽子、アルファ粒子などの複合核ができた。

これが三十分間つづき、膨張宇宙は軽元素を生ずる熱核反応の臨界温度に下がり、現在のさまざまの元素が生まれてくる状態になった。

天地創造がまるで十数分間でできる電子レンジ料理のような話ではないでしょうか。

                                      四次元99の謎 関英男



3月19日(火)07:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

15 宇宙の正体を見つけた?

宇宙が膨張しているという観測事実から導かれたアイディアは、私たちになにをもたらしたでしょうか。

それは、宇宙にも、誕生があった!ということです。これまでは、宇宙は永久不変で、一様で、星だけが生まれたり死んだりすると思われていたのですが、そうではなかった。この大宇宙にも生まれた日、誕生日があったのです。膨張しているのだから、膨張を開始した日があったというのがその根拠です。これはとりもおなおさず、宇宙に年令があるということになるでしょう。

しかし、ここから先は、じつはとてもむずかしい問題をはらんでいます。しかし、ともかく宇宙の年令という疑問にたどりついたのですから、それを考えてみましょう。

いま、宇宙が収縮しはじめたとしたら何年くらいで完了するでしょうか。ハッブルによるとそれは五十億年の昔となります。これが宇宙の数学上の計算にもとづいた年令といえます。

しかし、別の方法で計算すると、二百五十億年という数字も出てきます。これは星雲の年令を推定した値です。銀河系宇宙は比較的若く、その年令は五十億年とされていますので、この計算でいけば宇宙の誕生から二百億年後にうまれたことになります。どちらにしても、五十億年以上という超巨大な昔に宇宙は生まれたと考えることはできるでしょう。

では五十億年前の膨張をはじめるまえの宇宙はどんなものだと考えられているのでしょうか。それは、これだけの超感覚的巨大なものが収縮したと想像して、太陽系くらいの大きさの超高温の素粒子のるつぼのようなものだとされています。それが、ある日突然、膨張を開始したのです。

では、この宇宙の大きさはいったいどれくらいなのでしょうか。

宇宙空間が曲がっているかどうかはまだはっきりわからないので、いちおう曲がりがゼロとして計算すると、宇宙の年令を五十億年とすれば、その半径は五十億光年ということになります。
しかし、この計算には仮定があります。それは五十億年まえの超高温の宇宙が太陽系の大きさだったこととか、宇宙の年令を五十億年としたことなどです。
もし、宇宙空間が五十億年前も無限大の大きさであれば、現在でも無限大です。

無限大の大きさの空間を考えることはできません。しかし宇宙は、常識を超えるスケールのものです。もし宇宙が無限大であれば、果てはもちろんありません。

また宇宙の半径を五十億光年とする考え方は、宇宙空間が曲がっていないという仮定に立っています。これは現在の最高の望遠鏡による観測の結果ですから、もしその望遠鏡で観測できる外の宇宙空間がアインシュタインの言うとおり曲がっていたら、体積が有限で、果てはないということになります。その場合、形は言えませんから、半径は考えられなくなります。

                                      四次元99の謎 関英男



3月18日(月)16:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

14 宇宙は果てしなく膨張しつづけている!

アインシュタインの宇宙論は天文学の研究と観測によって事実と異なっている部分が多いとされ現在では静的宇宙論として過去のものになってしまいました。といっても、宇宙空間が曲がっているという考え方、そして宇宙空間にリーマン幾何学を適用したこと、これらの功績はきわめて大きかったのです。では、アインシュタイン以後の宇宙論の探検をこれからやってみましょう。

アインシュタインの宇宙論が観測事実とちがうことを指摘したハッブルは、有名な『星と宇宙』という著書の中でつぎのように述べています。

「アインシュタインは宇宙は一様で等方、そして静止していて、時間とともに変化しないという仮定にたって、宇宙空間論を考えた。しかし、これは特殊な場合を除いて正当な解とはいえない。アインシュタインの宇宙はいわば物質であって運動のない世界である。しかし、空間の曲率半径は時間とともに変わるもので、想像しうる宇宙は収縮か膨張のいずれかになるはずである。数式からはどちらとでるか判定できないが、観測された宇宙はいままさに膨張していると断定できる。この解釈をもとに宇宙像を考えると、宇宙空間は一般相対性理論にもとづく一様性をもち、膨張しつつあるといえよう。」

宇宙は膨張している==ハッブルは、こう言っています。それはいったいどういうことなのでしょうか。ハッブルは、星雲を観測するうちに、星雲からくる光がすこしずつ赤みがかっていることを発見しました。これは赤色変位と呼ばれる現象で、この事実からかれは、星雲が地球から少しずつ遠ざかっていること、そして遠方の星ほど速くとおざかっていることをつきとめたのです。これは、あたかも各星雲(一億個以上)が銀河系を中心に膨張しているようにみえるのです。宇宙が膨張していることは、つまり宇宙が動的な空間であるということなのです。

この事実は、たとえば十億光年のかなたのAという星を今観測しても、それは十億光年の昔の姿であり、しかも、宇宙は膨張しているのですから、その星雲は、いまそこには影も形もないということです。天文学的時間と空間とはまさにこういうことを言ったものです。

            四次元99の謎 関英男



3月17日(日)04:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

13 宇宙空間は、ほんとに曲がっているのか

宇宙の構造はコペルニクスによって天動説から地動説へと大転換し、その後アインシュタインによって飛躍的に変化しました。

それは、第一章でも触れましたように、宇宙空間が曲がっているという仮説です。そして、この仮説が、実際に確かめられる時がきました。それがハッブルの星雲の発見と観測によってもたらされたのです。

宇宙空間はほんとに曲がっていたのでしょうか。結論を述べるまえに、どのようにして実際に測定したかを考えてみましょう。

ここで使われる方法はリーマン幾何学といわれる方法です。私たちが学校でおそわった幾何学はユークリッド幾何学と呼ばれ、曲がりがゼロの平面および空間に描かれた図形のみを考えてきました。たとえば、三角形の内角の和は二直角となる、という定理がそうです。

これに対して、リーマン幾何学(非ユークリッド幾何学)は、曲がりがプラスまたはマイナスの平面や空間に描かれる図形を考えたものです。球面に、たとえば三角形を描いてみてください。内角の和は二直角よりも大きくなるという性質があります。

まえにもふれたとおり、平面状なら円の面積は半径の二乗に比例するのですが、たとえば球面(曲がりがプラス)だと半径の二乗に比例するよりも小さく、サドル型(マイナス面)だと二乗に比例するより大きくなる、という性質があります。これは、それぞれの平面を模型で作ってその上に円を描いてみれば理解できます。

この面の性質を空間にも利用して考えることのできるのはすでに5で述べました。空間の場合は、体積が面積に相当しますから、曲がりゼロの空間に描かれる球体の体積は半径の三乗に比例する。

これは、ボールの体積を出すとき用いる方法です。もし空間がプラスに曲がっているなら、体積は半径の三乗に比例するよりも小さい、曲がりがマイナスの空間なら体積は半径の三乗に比例するより大きいはずである。このリーマン幾何学の空間の性質を利用して、実際の宇宙空間が曲がっているかどうかを知ることができます。

その方法は、もうすでにみなさんも気づかれたと思いますが、実際に測定できる宇宙空間の中に、ある点(どこでもよい)を中心に球体を描いてみます。宇宙的球体です。

そして、それらの球体の体積が、半径の三乗に比例してどう変わるかを調べれば、宇宙空間の幾何学的性質がわかります。性質は、曲がり方がゼロかプラスかマイナスか、三つに一つなのです。では・・・そうです。体積はどうやって求めたらいいのでしょうか。

じつはここでハッブルの星雲の観測が役にたってくるのです。現在の宇宙の観測された事実によると、星雲は一様の密度で分布し、星雲の間の距離は二百万光年ですから、この事実が宇宙全体にあてはまるとすると描いた球内に存在する星雲の数に球の体積は比例するはずです。だから体積がおおきくなるほど星雲の数もふえる。このあたりは天文学者が精度たかくやっていますのでミスは少ないと思っていい。

たとえば、地球を中心に半径一億光年の球を描き、そのなかに存在する星雲の数を実測する。そして、もうひとつ三億光年の球体を描き、同じように星の数を実測する。

もし、宇宙空間が曲がっていない場合、すなわち曲がりゼロだと星雲の数は三億光年の球が一億光年の球の半径の三乗倍、すなわち二十七倍となるはずです。もし、空間がマイナスに曲がっていれば二十七倍以下(小さくなる。)

アインシュタインは、宇宙空間は、プラスに曲がった空間だと言いました。

そろそろ結論を言いましょう。この方法によって実際に宇宙空間を調べた結果、じつはアインシュタインの宇宙論に反して、曲がりがゼロかまたは、ほんの少しマイナスであるらしい、ということになりました。ではアインシュタインの宇宙論は誤りなのでしょうか。そうではありません。観測できる宇宙のスケールの大きさを考えてください。

観測できる宇宙がそのすべてではないのです。ずっとむこうは・・・?

                             四次元99の謎 関英男



3月16日(土)05:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

12 エドウィン・ハッブルの宇宙探検

大宇宙のスケールをもう少し具体的に考えてみましょう。

大ざっぱに言って、光の速度で距離をはかって、地球から月までの片道は約一.二八秒、地球から太陽までの片道は約八分。

こんどは太陽を中心に考えて、太陽系のいちばん端の冥王星と太陽の距離は約五時間半、銀河系の端から端までの距離は十万光年、太陽系は銀河系の中心から約三万光年ずれた位置にあって中心のまわりをまわっています。銀河系と別の銀河系とされているアンドロメダ星雲までは百九十万光年。そして、いま地球上から観測できる宇宙のスケールは約五十億光年なのです。

五十億光年の距離といってもピンときませんが、こう考えてみると実感がわくのではないでしょうか。いま五十億光年のかなたの星Aを望遠鏡で発見した。しかし、よくかんがえてみれば星Aを出発した光が五十億年後の今、地球に届いたということで、その星について明らかになることはすべて五十億年の昔のことがらなのだということになり、じつに巨大な距離と大きなスケールの時間を私たちはイメージしなくてはなりません。

光速は、一秒間に地球を七週半もするほどですから、地球上では"同時"ていう感じで経験されますが、宇宙では時間も問題となってきます。

さて、一九二四年に、アメリカの天文学者のエドウィン・ハップルは、カリフォルニアのウィルソン山天文台で観測しているとき、銀河系の外の広大な宇宙空間に、数えきれないくらい多くの銀河系と同種類の星の集団が存在していることを発見しました。

これらの星の集団はそれまでは、ガスの固まりだと信じられていました。が、その後のかれの観測と研究によって、大宇宙の構造は次のように記述されるようになりました。

銀河系に近い宇宙空間では、星雲はだいたい同じ密度で分布しており、それらの星雲間の距離は平均して約二百万光年である。そして、星雲の数は、世界最大のアメリカのパロマ山天文台の二百インチ反射望遠鏡で見える範囲だけでも一千億個もある。

ひとつの星雲にはやはり一千億個の太陽があるのだから、宇宙全体の星の数は惑星も含めれば背気が遠くなるほどの数になる。

この新しい宇宙像は、それまで漠然と考えられていた宇宙に、かなりはっきりとしたイメージを与えることになりました。

これはたとえば、全宇宙にはこんなに数多くの星があるのだから、われわれ人類のような知性を持つ動物が、この地球にしかいないというのは人間のごうまんな思いあがりだ、銀河系一千億個の太陽、いや一千億の一千億倍の大宇宙の星のなかには人類と同等、あるいはそれ以上に進化した生命体のいる天体がいくつもあると考える方が自然だ、という議論などがその代表といえるでしょう。

宇宙に生命がいるかどうかについては後で考えますので、この話はこれでストップしますが、ともかく経験的世界に閉じ込められていた人間の想像力を、大宇宙の空間と時間に向かって、いっきょに解き放った効果は大きかった。そして、このハッブルの発見は、現代物理学の世界にも重要な問題を投げかけました。

それをつぎに考えてみましょう。

                            四次元99の謎 関英男



3月15日(金)05:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

11 宇宙には一千億×一千億個以上の太陽が存在する

3月も中旬に~ 投稿者:けん 投稿日:2013年 3月14日(木)01時16分29秒

まだ寒いが雪もなくなり、ちょっと春に近づいてきた今日この頃。

仕事や会合などで世の中の動きも把握していませんが、「暴露と狼狽」が
あったようですね。 (>_<)

http://www.amakiblog.com/archives/2013/03/12/

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記憶をもとに 投稿者:たまきち 投稿日:2013年 3月14日(木)06時07分38秒

昨日は風が強く 夜になり雨になりました。

ジュリーさん 記憶をもとに ありがとうございます。

日本の古神道は 燈台下暗し ですね。

カタカムナが カタカナの起源であると知ったときは 燈台下暗しと思いました。



けんさん

前代未聞の暴露ですね。

燈台下が暗かったことが 白日のもとにさらされつつあると思いました。

TVと新聞だけが 情報源の人たちにとってはこれからの時代 目からうろこが落ちますね。

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11 宇宙には一千億×一千億個以上の太陽が存在する 投稿者:たまきち 投稿日:2013年 3月14日(木)06時13分57秒

第一章の最後で、アインシュタインの宇宙論は宇宙に関する多くの謎を解くひとつの有力な理論といえるが、それは実際に観測した結果と合わなければ、ただの仮説に終わると指摘しました。

現代物理学は、自然の本質を探検することを目的としており、遊びではありませんから、現実にどのようになっているかをきちんと答えられなければならないことは言うまでもありません。

もし、答えられないなら、なぜ答えられないかを説明しなければいけません。多くの謎を残すとしても、真理はいずれひとつひとつ解明されていくにちがいないと信ずるからです。

では、私たちが日常ではとても知ることのできない超感覚の世界、大宇宙の探検にでかけることにしましょう。

宇宙とはなにか。そこにあるものはいったいなにか==。

夜空にある天の川に始めて望遠鏡をむけて、天の川が恒星の大集団であることを明らかにしたのはガリレオ・ガリレイでした。それから三百五十年の間に、ずいぶんいろんなことが明らかになってきました。夜空を占領する星は、恒星と惑星に分けることができます。

恒星はお互いの位置を変えずに星座を作っている星、惑星は地球のように恒星の周りをまわるなどして位置のきまらない星です。一般の恒星は熱いガスの集まりで、たえず光を出しています。

夜空を肉眼であおいで見ることのできる星は、太陽に比較的近い恒星と太陽の惑星だけなのです。太陽に比較的近い恒星を含む一大集団を銀河系と呼んでいますが、この銀河系は遠くから離れて見ると薄い円盤の形をしています。いわゆる天の川です。

この銀河系の直径は十万光年、すなわち光の速さで飛んでいっても十万年はかかる広大なものです。その厚さは三千から五千光年とされ、円盤の中心部分には星が密集し、銀河系全部だと一千億もの太陽があるのです。そして、さらに一千億もの太陽を持つ銀河系星雲が、この大宇宙には一千億個もあるのです。

そのなかの一つの太陽の惑星の一つがこの地球なのです。

銀河系を電波望遠鏡で観測すると、星は渦巻き状になっていて、中心部分ほど早い回転運動をしていること、銀河系が一回転をするのに約二億年かかるということがわかりました。

                           四次元99の謎 関英男



3月14日(木)06:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

10 宇宙空間を直進したら四次元世界に突入するのだ

四次元空間がもしあるとしたら・・・とここまで考えてきて、頭のマッサージもだいぶ快調に進んできたと思います。では、話を現代物理学の世界にふたたびもどして、宇宙空間が曲がっていることについて考えてみましょう。

これまでの次元の話で、だいぶはっきりしたと思いますが、私たちのいるこの大宇宙空間は、ともかく曲がっているが、その形態を説明するコトバはない。ただ、曲がっているという空間の性質を知ることはできた、というところまでたどり着きました。

では曲がった三次元空間(私たちの空間=宇宙空間)には、どんな性質があるのでしょうか。それは、3でも簡単にふれましたが、どんな物質も、光でさえもまっすぐに進むことはできないということがあります。面の性質をあてはめて考えるとよくわかると思いますが、曲がった面の上で、まっすぐな直線を引くことはできない。むりに引こうとしますと、面をとび出してしまいます。次元的に言えば、二次元空間から三次元空間にとび出してしまい、とび出した部分は二次元空間では、消滅したことになります。

これと同じ原理で、曲がった空間内では、直線は存在できないのです。さて、プラスに曲がっている球面(ボールの表面)で、面から離れずあくまでまっすぐ一方向に進むと、地球一周と同じ原理で、いつかは出発点に戻ってきます。これと同じようにプラスに曲がった宇宙空間をあくまでどこまでもまっすぐに進むと、いつかは出発点にもどってくるはずです。ロケットが永遠に飛び続ければ、地球の出発点に帰ってくるというのは、宇宙空間の性質から考えて、ごくあたりまえの結論になるのは、このためです。これが、アインシュタインの宇宙論でした。

それでは、もしプラスに曲がった二次元空間を折れない棒が進むようにむりに直進したらどうなるかを次に考えてみましょう。次元のところでも説明しましたが、球面を無理に直進すると二次元空間をとび出し、二次元から三次元に行くことになります。同じように三次元空間の宇宙を無理に直進すれば四次元空間に入ることになり、そのロケットは、三次元世界からは、消えてなくなってしまうわけです。

しかし、残念ながら三次元人間が一般的な意味での四次元空間に行くことはできません。それは数学上の仮説で、テレビの画面の人間が二次元のスクリーン面からとび出してこれないのと同じことです。もちろん、数学的には四次元、五次元といくらでも考えられますが、それは数学がある仮定にもとづいて組み立てられているからです。

このような人間の発明品の空間と、自然に実在する空間はもともとは無関係です。そして、もし四次元空間が実在するとしても、そこに人間が行くことは絶対にできません。

ですから、宇宙空間の曲がりも、アインシュタインの仮説で、多くの疑問に終止符を打ったという功績はありますが、それがほんとかどうかは実際に宇宙を観測してみなければわからない。

                                四次元99の謎 関英男



3月13日(水)06:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

9 四次元人間ならカラを割らずにクルミの中味をとり出せる

次元というとむずかしい理論のように思われますが、要するに数学的な仮定にもとづいた議論にすぎないということは、おわかりいただけましたか。ちょっとした頭のトレーニングにはなるでしょう。かと言って、ただの空論だとバカにしてしまうのは早計です。気軽に、しかもバカにしないで、もうすこし付き合ってください。

つぎは問題の四次元です。

次元のことを考えていくかぎり、大は小を兼ねるということが常に言えます。つまり、三次元の生活で、三次元の経験をし、三次元的頭脳で一、二、三次元の現象を理解するのは簡単なことです。しかし、逆はとてもむずかしい。だから、三次元の世界のわれわれが四次元のことを考えるのはとてもむずかしい。経験の外の世界のわけです。

四次元空間は数学的に言えば、長さ、幅、および高さ以外に、もうひとつの方向を持った空間です。すなわち一点で直交する四本の直線が存在できる空間ということになるでしょう。

さて、考えてみましょう。

四次元空間を考えるためには、一次元から二次元へ、二次元から三次元へとたどってきた考え方を、三次元から四次元へとおしすすめていくのがいいでしょう。二次元の住人は、一次元空間の住人には考えられないような障害物を持ち去るという離れわざが苦もなくできた。三次元の住人は二次元の住人にできないことが苦もなくできた。三次元の住人は二次元の住人にとって神隠しとしか説明のできない、囲いの中からこつ然と消えるような離れわざをやった。では四次元の住人は、どんな離れわざをつかえるのでしょうか。

いま私たちがくるみを食べたいと思ったら、"くるみ割り"でえいっとばかり力をこめてカラを割り、中から実を取りださなければなりません。ところがここに四次元の住人がいたとしたら、かれは苦もなく実をとりだすでしょう。 もちろんカラを割るなんてやぼなことはしません。

われわれにはこんなことはできません。もし、できるとしたらその人は四次元人間でしょうし、もしかしたら超能力者として、テレビをにぎわすことまちがいなしです。しかし、四次元人間にとってそんんことは朝メシ前。
では、クルミの実はどこを通って外にでてきたのでしょうか。

そうです、第四次元目の座標軸の方向に移動してきたのです。

二次元空間(平面)は、一次元空間のすぐ隣に広がっていました。三次元空間(立体)は二次元のすぐそばにありました。おなじように考えていけば、四次元空間は三次元空間のすぐそばに、われわれの手のとどくところにあるはずです。その四次元空間をちょっと利用して、クルミの実は外に出た、と結論できるわけです。

四次元空間を考えれば、人間蒸発も、神隠しもうまく説明できます。



3月12日(火)05:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

8 人間蒸発、神隠しも朝メシまえ

では、つぎに三次元世界を考えて見ましょう。数学的には、一点で直交できる直線の最大数が三本ある空間です。要するに、いま私たちがふつう空間と呼んでいる世界なのです。

私たちは、野原のまんなかでバリケードで囲まれても、その上を越えて脱出するのは簡単です。低い塀ならとび越せばいいし、とても高い塀ならヘリコプターで脱出することができます。

しかし、これを二次元世界の住人が見ていたらまったく脅威でしょう。閉じ込められている物体が突然消えてしまうからです。どこをどう調べてもバリケードはもとのままで、こわされていない。二次元世界に起こる世にも不思議な神隠しなのです。

私たちの住む世界は三次元なのです。この世のものはすべて、長さと幅と高さがあり、三方向に膨らんだり、縮んだりすることができる。また空間の量としては、長さ、広さのほかに体積が登場し、立方体、直方体などのものが登場してくるわけです。

こう話を進めてくるとだいたい次元の話は、おわかりいただけたのではないでしょうか。

ところで、二次元空間に住んでいる人間を再び想像してみましょう。もし、かれの住んでいる二次元空間(平面)が球面だとしても、かれに面の曲がりは見えるでしょうか。見ることはできません。ですから、かれにはその曲がりがどんなものかを説明することはできません。もちろんその曲がりの性質は、数学的に知ることはできるでしょうが、見ることはできないのですから、説明することばを持たないのです。

二次元世界の物理学者が、自分のいまいる地上(=二次元空間)が球面だと理論的に証明しても、それがどんな球面なのか、どんな曲がり方をしているのか、それを二次元世界の一般の人に説明することはできません。それと同じことが、三次元世界と四次元世界にも言うことができるのです。

もし、その物理学者が球面の曲がりを見ることができるのなら、それはその物理学者が高さを持った人間、すなわち三次元世界の人になったということです。自分の住んでいる空間の曲がりは絶対に見ることはできない。だから説明することもできない。そういうことなのです。

              四次元99の謎 関英男



3月11日(月)05:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

7 二次元世界で野球をしたら、どうなるでしょう

数学的に厳密に言えば、二次元空間とは一点で直角に交わる直線の最大数が二本であるような空間で、すなわち平面のことです。

たとえば、一本道を歩いているある男の前方を大きな石がふさいでいる。しかし、二次元空間の彼にとって、空間とは平面なのだから、広い運動場のような土地の中の道を歩いていることになる。そのかれにとって、石はもはや障害でもなんでもなくて、右や左や、とにかくよけて通ればいいわけです。それどころか、べつに道を通らなくても、いちばんの近いところを選んで目的地に行けばいい。一次元人間より、活動できる世界ははるかに広く、大きくなっています。

ところが、運動場をへいで囲んでしまうと、かれはそこから絶対に外にでることはできません。

二次元の世界というものがもし現実にあったとしたら、その世界の住人は、空間というものを平面的にしか理解できないのですから、いわゆる厚さとか高さとかの考えはまったくない。そもそも、その世界には厚さとか高さとかいうものは存在しないわけです。

では、二次元の世界で野球をしたらどうなるでしょうか。これは考えただけでもこっけいです。バッターがボールを打ったとします。ゴロならボールは二次元世界にありますから、野手は捕ることができます。しかし、フライを打ち上げたらどうでしょう。ボールは突然、消えてなくなるのです。そして、地上に落ちたときはじめてボールがみえる。これではゲームになりません。

もうひとつ考えてみましょう。いま、ここに一次元の人間がいたとする。道の途中に石があって、にっちもさっちもいかない。もちろん石を動かすことはできない。そこへ二次元の住人が来たとする。かれにとって、石をころがし、直線の向こう側に置くのは簡単である。しかし、これを一次元の住人が見ていたらどうでしょうか。一次元の住人にとって世界は直線なのだから、それ以外にかれの世界はない。だから二次元の世界の人間によって、物体が直線からはずされた瞬間に視野からなくなり、消え失せる。物の蒸発、神隠しという信じられないことをかれは目撃することになる。そして、しばらくたって、ずっと向こうの後ろのほうに、石がこつぜんと現れる。じつは二次元の住人が移動させたにすぎないのだが一次元のかれにとっては、物体が念力で移動したのかな・・と思えるほど、奇怪なできごとに映るのです。二次元世界の人間のちょっとしたでき心は、一次元世界の人間には神秘的で恐るべきことがらとして出てくるのです。

たとえば、地表面にしろ、机のうえにしろ、生活の空間が平面でしかないアリ、このアリにもし考える能力があるとして、一匹のアリを人間がつまんで、そのアリの巣にもどしてやれば、隊列から突然消え、巣に同時刻にいた、とても不思議なアリということで仲間の話題になるでしょう。もちろん、その体験をしたアリは、三次元世界を人間の手で運ばれたのですから、自分の体験を語ることはできない。気がついたら、巣のそばにいた、ということになるのです。

                             四次元99の謎 関英男



3月10日(日)06:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

6 一次元世界で、美人コンクールをしたらどうでしょう

次元というのは、もともとは空間の性質を研究する幾何学の専門用語です。数学の世界では、線も面も空間として考えることに決められているのです。すなわち、線を一次元空間、面を二次元空間、私たちがふつうに呼んでいる空間が三次元空間です。一次元空間は、長さだけしかない世界、二次元空間は、面ですから長さと幅の二つの方向があります。三次元空間は、面のほかに高さという方向が加わったものです。

まず一次元の世界を考えてみましょう。そこは幅もなく厚さもないただ一方向に伸びた空間(=直線)だけがある世界です。

具体的に考えていくと、たとえばとても細い一本道がある、道の両側は死の谷とでも言える深い奈落の底がまちかまえている。この一本道を一次元のAという人がまっすぐに歩いている。そしてかれは、むこうからBという人がこちらに歩いてくるのをみつけた。やがて二人はすぐそばまで来た。とそのときAは自分の後ろ側で石が落ちてきて、道をさいでしまったのを見た。一次元のかれには、そのとき運命は決められた。Bと並んで、その道の上に向かい合っていることしかできない。すれちがうことはもちろん、ひき返すこともできないのが一次元の世界なのです。

たとえば、やっと抜けられるくらいの細い管の両側から二匹のアリを入れてみるといい。ともに前に進むことしかできず、衝突したらそれでおしまいです。アリにとっては、管は道であって、その管が曲がっていようが、まっすぐであろうが、その道にいるアリにはまったくわからない。だから、その道が円環になっていて、もし一匹のアリが歩き始めても、それは無限に遠い。果てのない道ということになるわけです。しかも、直線の道のわけです。その道が曲がっているかどうかを知ることができるのは、じつはその道を面の上に置いたときなのです。面の上におき、二次元世界の住人となれば、一次元の線が曲がっているかどうかをみることはできるのです。しかし、一次元の住人にとって、一次元空間=線が曲がっているかどうかは、知ることはできても見ることはできない。知るというのは、数学的に知るということです。

しかし、一次元の世界というのは現実にはない。空間に一本の線を引いて、その線の太さをゼロと仮定して、一次元と言うことはできますが、現実にはない。われわれが抽象し、仮想した世界にすぎないのです。

もし、あるとしたらどうか。その世界で人間が生きるとしたら、入れ替えがまったくできないのだから、その人は一生のうち前と後ろの二人の人間としか会えない。自分を含めて三人の世界です。もし、一次元の世界で、美人コンクールをしたら、人間は三人しかいないのですから、必ず三位までには入ることができる。いや、それよりも、長さしかない世界なのですから、あるのは身長だけ。バストやウェストのない世界で、味気のないコンクールとなってしまうでしょう。

四次元99の謎 関英男



3月9日(土)06:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

5 四次元生物のみが見ることのできる宇宙の全貌

宇宙空間はプラスに曲がった空間である。この宇宙は、広さは有限だが、果てはない==アインシュタインの宇宙論を簡単にするとこういうことになるでしょう。

では、この宇宙はいったいどんな形をしているのか==だれもが、つぎに抱く疑問でしょう。宇宙空間の曲がり方は、しいて言えば平面でいうボールのようなものを考えればいいと言いましたが、それは曲がり方の性質を言ったもので、形態を言ったものではありません。広さは有限で果てはないという空間の性質を、球面を借りて説明しただけなのです。

ここのところを誤解して、宇宙空間を球体内の空間と同じだと言う人がよくありますが、それは完全なまちがいです。球体とは、球面で囲まれた空間であって、その空間が曲がっているとは限らないからです。空間が曲がっているかどうかは、形の問題ではなく、空間の性質の問題です。

面の場合でも、その面が曲がっているかどうかはその図形が四角形であろうと円形であろうと関係なく決められることを思い出してください。曲がっているということは面の性質だったのです。

それでも、宇宙が球体であるという妄想を捨てられない人のために、「宇宙が球体だ」と仮定して考えてみましょう。その場合、広さ(=体積)は有限ですが、果てがあります。果てはもちろん球面です。アインシュタインの考える宇宙空間の性質は、「体積は有限で果てがない」のですから明らかに異なっています。宇宙空間は曲がっているが、その形は球体ではありません。性質がちがうのです。しかし、こう説明しても、では宇宙空間とは、どんな曲がり方をしているのか==このだれもが、いちばん知りたがっている問いに、現代物理学者は、こう答えるのです。
「私たちには、その問いに答えることばがないのです」

これは読者の方をからかっているのではありません。それを次に説明しましょう。
SF小説なんかによく、"四次元の世界"という表現が出てきますが、宇宙空間の性質をよく理解するためには、この次元(ディメンション)という考え方の助けを借りなければなりません。

私たち人間が、ふつうに空間と呼んでいる世界は、次元でいえば三次元空間です。それは長さと幅と高さという三つの方向を持っている空間です。二次元は長さと幅をもった"面"、一次元は長さしかない空間とされている。二次元に住んでいる人間には、高さというものがないから、自分の住んでいる世界が球面だとしても、曲がりを見ることはできないから、球面を説明することばを持たないのです。アリがボールの上をはっても、アリにはボールではなく、ただの面なのです。これと同じことが、人間の住む空間(三次元空間)の曲がりにも言えるのです。三次元空間の曲がりを見れるのは四次元の生物だけです。では、次に次元についてもっとよく考えてみましょう。

四次元99の謎 関英男



3月8日(金)04:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

4 宇宙空間が曲がっていることは、だれにでも理解できる

宇宙は有限の大きさであるといっても、なかなか承知してもらえないかもしれません。
「宇宙に果てはないが、有限である」と言いました。
すると、多くの人は、有限ということばにまずひっかかるでしょう。有限ならば、その外にはなにがあるのか、反宇宙か。
そうではないのです。こうした問いかけをする人の頭には、おそらくプラネタリウムの天空のような宇宙の形が描かれているにちがいありません。まず、そのかたくなな宇宙の形、それを頭から捨ててください。

アインシュタインは、宇宙空間は広さ(体積)は有限だが果てはない、と言いました。そしてその空間は曲がっているとも言いました。では、どんな曲がり方をしているのでしょうか。

空間の曲がりを理解するために、数学の助けを借りて、まず面の曲がりを考えてみましょう。

数学者は面を大きく、三種類に分けました。これは三角形でも四角形でもどんな形をしていてもかまいません。ここではまず、円を描いてみましょう。数学を習ったことのある人なら円の面積が、半径の二乗×円周率で出てくることは知っています。

では、曲がった面の上に円を描いたらどうでしょうか。この場合の円の面積は、平面上に描いた円よりも大きくなるか、小さくなるかの二つの可能性しかない。このあたりは、あたりまえのことですから、気楽に考えてください。

数学者は、平面に比べて面積の大きくなる面を曲がり方(曲率)がマイナスの面、面積の小さくなる面を曲がり方がプラスの面となづけました。もちろん平面は、曲がり方がゼロの面です。

平面をまっすぐ進むと、無限に遠くまで行ってしまうことを私たちは知っています。決してもとにもどってくることはない。数学者は曲がり方がマイナスの面もこれと同じ性質があることを証明しました。マイナスの面というのは無限に、あらゆる方向に広がっている面のことを言うのです。そのよい例は、馬のくらの型をした面です。これはサドル型の面とふつう言われており、馬のくらはその面の一部分といえます。

では曲がり方がプラスの面はどうでしょうか。その良い例はボールのような球面です。ボールの面をたどれば、もとのところにもどってきます。

この三つの平面の性質を考えてみますと、ボールのような球面(プラスの面)は、面積が有限であっても果てはない、どこまでいってもなん周でもできる。平面とマイナス面は面積が有限ならば、果てがある面、とそれぞれの性質を決めることができます。この面の三つの性質については29ページの図に説明してありますので、図表をみながらよく考えてみてください。

きわめて図式的に考えてきましたが、「有限」とか「果て」とかの意味が少しはおわかりいただけたでしょうか。

このように考えてきた結果、平面にこのような三つの性質(種類)があるのなら、空間にもいくつかの種類が考えられるのではないだろうか。平面について考えたのと同じ考え方を空間にあてはめたらどうだろうか、と数学者たちが考えるにいたったとしても無理はないでしょう。

数学者たちは、三次元空間にも三種類の空間を考えることができると言っています。それは面の場合と同じで、曲がり方がゼロ、プラス、マイナスの三つの空間です。

プラネタリウムを宇宙の形と漠然とイメージしている人の頭にある空間は、曲がり方ゼロの空間といえるでしょう。空間の広さとは面積ではなく体積ですから、広さ(=大きさ=体積)が有限ならば果てがあるという空間です。果てがあるから、その外の世界を考えなくてはならなくなる。

ところがアインシュタインの考えた宇宙空間論は、私たちが常識的に考えていた曲がり方ゼロの宇宙空間の像を完全にくつがえしました。かれのかんがえた宇宙空間は、「体積(広さ)が有限で、しかも果てはない」という奇妙な性質を持っています。かれは定規で線をひく代わりに、光線で線をひいた空間を考えたのです。もし、光線の通路が曲がれば、その空間は曲がっていることになります。

この性質は、たとえば面に当てはめて考えるとするならプラスの曲がり方をしている空間だと言うことができます。しかし、宇宙はプラスに曲がっている空間であり、どこまで行っても果てはなく、面でいえば球面のようなものだというと、ボールのようなものをイメージするのではないでしょうか。しかし、宇宙空間は、じつは球体ではないのです。それをつぎに説明しましょう。

              四次元99の謎 関英男  イラスト 中津逸三



3月7日(木)18:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

3 宇宙空間を飛び続けたロケットは出発地点にもどる

人間は自然を知りたい、それも深く決定的に知りたいという欲望をもっています。その欲望が科学の発展の原動力となってきたのですが、そうした人間の開拓してきた科学史をひもといてみると人々の知識欲を最も強く刺激してやまなかったのは「宇宙」の神秘であったようです。それは現代人にとっても同じような深い問いかけを、たえることなく投げかけてきます。

まず簡単なことから考えてみましょう。

 私たちの住んでいる地球は広い宇宙の中にある。これはだれもが常識として知っていることです。では、地球からロケットにのってある方向に飛び出したとします。そしてロケットがどんどん、どんどん飛びつづけたとしたら、そのロケットは、「どこまでも、永遠に飛び続ける」のか「それとも宇宙の果てに、やがてはたどりつく」のか、どちらでしょう。もちろん、途中でロケットがこわれたり、消えたりすることはないと仮定します。これは、じつは「宇宙は有限か無限か」という質問なのです。これにはじめて現代物理学の立場から答えたのは、かの有名なアインシュタイン博士でした。

昔の人にとって平面だった大地は、じつは曲がった面、球面でした。球面というのは広さ(面積)は有限ですが、果てはない。果てがあれば、果ての向こうの世界も考えられるが、果てはなくただもとのところに返ってくるだけ。
それがこの大地(=地球)の構造だったのです。

それを知ったとき、大地の果てはどうなっているかという長年の疑問は氷解してしまいました。

これと同じように、宇宙空間もじつは曲がっていて、その広さ(体積)は有限であるが、果てはない。
こういう奇妙な宇宙空間論を考え出して、アインシュタインは宇宙は有限か無限かという疑問に答えたのです。私たちの経験の範囲では、宇宙は平らな空間のようにみえ、ロケットで飛べばどこまでもまっすぐにすすめるはずだと考えがちですが、そうではない。宇宙全体は曲がった空間なのである。だから、ロケットで、どんどんどんどん先に進んで行けば、、いつのことになるかはわからないが、ついには元の場所に帰ってしまう。これが、最初の質問の答えなのです。

もちろん私たちに空間の曲がりはみえません。ただ、それを経験する方法としては、時間の問題を度外視した仮定の話になりますが、遠方がどこまでもみえる高性能の望遠鏡で宇宙をのぞいてみるとよいでしょう。いったい、なにが見えるのでしょうか。

そうです、望遠鏡をのぞいているあなたの後頭部が見えるのです。曲がった空間では光さえも直進はできず、出発点にふたたびもどってくるからです。

宇宙は有限か無限か、この答えは「果てはないが有限である」ということになるわけなのです。

ただ、これは一面の真理をとらえた空想ですから、実際できるわけではありませんが、最近の天文学界で話題になっている「ブラックホール」の中では、これに類似のことがおこっています。

四次元99の謎 関英男



3月6日(水)07:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

2 宇宙の果てになにがあるかを考えるとノイローゼになる

現代物理学を知らないで、この大宇宙の果てになにがあるのかを考えると、その人は必ずノイローゼになるとよく言われます。それはいくら考えても次から次へと疑問がわいてきて、永遠に答えにたどりつかないばかりか、最初の単純素朴な思いつきに必ず帰ってくるからです。

「宇宙は有限か無限化」「もし有限だとしたら、有限な宇宙の外はなにか。反宇宙なのか」「もし無限だとしたら、無限とはどういうことか」

こうしたことはしかし、大宇宙の構造に興味を抱いたことのある人なら一度は必ずもってしまう疑問でしょう。現代物理学者は、こうした疑問にいて、それは、昔の人が大地の果てについて抱いていた素朴な疑問と同じで、まちがった考え方を基本にした、とくことのできない疑問であると説明しています。そして、そのまちがいは感覚世界の常識に人々が強くしばられている証拠だ、とも言っています。宇宙が有限か無限かという問いかけについては次にふれますし、最後の章でもくわしくのべますので、ここではまず私たちがいかに自分の五官を盲信しているかをみてみましょう。

たとえば、昔の人は地球を平面だと考えていた。肉眼でみれば、大地はたしかに平面にみえます。海の水平線をじっと、よく見れば船の姿などによって海面が少し曲がっていることはわかりますが、昔のひとはそこまで気づかなかった。だから平面の陸地や海面をずっと向こうに行けば、そこには果てがあるはずだ、そして果ての向こうには未知の暗い世界があるはずだと空想していました。そして、その未知の暗い世界は人々をおののかせ、今から見ればじつにくだらない妄想を生みました。

もし、この時代の人が人工衛星にでも乗って、地球がまるいことを知ったらどんなに驚くことでしょうか。また人類は、地球が球形であることを知ったあとでも、地球の反対側にいる人が逆立ちして立っていることを容易に信じようとはしませんでした。地球が、宇宙に浮かんでいるなどということはもちろん、信じられないことだったのです。

時代によって人間に知能的能力の差があるとは考えられませんから、昔の人がこのようなバカげたことを信じていた背後には、それなりの理由があるのです。自分の住んでいる狭い地上で得た経験知識で、大地全体の構造を説明しようとしたから、その果てを考えざるをえず、果ての向こうには未知の暗黒の世界があると空想せざるをえなくなったのです。

肉眼でみわたせる陸や海は平面である。。そしてすべての物体は下に向かって運動する。だから大地には果てがあり、大地はなにものかによって支えられているにちがいない、と考えたのです。

しかし、どんな旅人も、地球の果てにだとりつくことはできなかった。それは、空想によってしか説明がつかなかったのです。最初に述べた、宇宙の果てに関する私たちの疑問も、これとまったく同じ考え方に基づいているのです。私たちは、なかなか自分の信じたものを捨てられない。

                              四次元99の謎 関英男



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