後書き 2 |
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| 本書は、患者たちへのはなむけでもあります。というのも定年後、診療に携わらないと決めている
ので、彼ら/彼女らはいやおうなく自立することを迫られる。そこで、何かのときに自分で判断し行
動できるよう、本書を残そうと思ったのです。
患者たちが歩んできた道のりを振り返ると、ただただ頭が下がります。たとえば乳房温存を選んだ
女性たちです。乳房全摘がすべてであった時代に、危険だという外科医や周囲の声を押し切った精
神力には、想像を絶するものがあります。
そうさせたのは何だったのか。彼女らに、がんへの恐怖や再発の不安を乗り越えさせたものは、乳
房への愛着だけなのか。そうではなく、海外の臨床データを知ったことや、がんの本質・性質につ
いて思案をめぐらしたからではないでしょうか。恐怖や不安と言う感情に対抗できるものは知性や
理性をおいてほかにないと思うのです。
彼女らが先陣をつとめたおかげで、日本の乳がん治療は一変しました。私が「乳がんは切らずに治
る」という論文を「文芸春秋」に載せたとき、温存療法の普及に何年かかるか案じたのですが、す
ぐにスタンダードになりました。患者一人ひとりが選び取った治療法が、後の患者たちを導いて、
温存療法の普及を早めたわけです。患者たちの理性的な行動が旧弊な外科世界を打ち破った好例で
す。
では、温存療法と同じように、がん放置療法は普及するのか。
この点温存療法は、温存のための手術・放射線という具体的な治療法であるのに対し、放置療法は
格別治療をしないので、患者に与える安心感が大きく異なります。それゆえ温存療法ほど爆発的に
普及しない可能性があります。
しかし他方、私の患者だけで百五十人以上が、放置療法が実行可能だったことを身をもって証言し
ています。そこから推して、患者・家族や一般社会の側には、放置療法を受け入れるに十分な知性
・理性が備わっている。がん放置療法の普及を阻もうとするのは、ここでも旧弊な医者世界でしょ
う。
それでも本書によって人々は、がんを放置した場合の真実を知ることができます。あとは、これか
らの患者・家族や社会が、どう考えどう行動するかに委ねられているといえるでしょう。
ところで、なぜ私が放置療法に思い至ったかは、読者にとって不思議かもしれないので、少し説明
しておきます。
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12月8日(日)14:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自然 | 管理
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