75 尽きることのない深さをもった自然 |
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| 超感覚の二つの世界、マクロの宇宙とミクロの素粒子の探検を続けているうちに、私たちは漠然と "自然"と呼んでいる私たちの世界がじつにいろいろの性質をもっていること、その性質にはつねに一定の法則があることを知り、自然が多層構造であることをしたたかに知らされました。
そして、その自然を構成しているものがじつは物質=素粒子であることも知りました。そしていま、この素粒子のさらに奥にあると思われる根本的で決定的な"原物質"の究明がつづけられているわけです。
ところで、自然が多層構造であるという考え方と原物質を求めるという考え方には矛盾があるように思われます。しかし、それはじつは見かけ上だけのことで、科学が常に自然は一元であるという立場で探求をすすめてきたことは 賢明な読者の方はすでに気づかれたと思います。
つまり、私たちの感覚できる世界で 私たちが感覚にもとづいて得た科学知識では、とてもつかみようのない巨大な宇宙と極小の素粒子の世界がある。その世界は、私たちの感覚の尺度で考えるととんでもないまちがいをする。それは、私たちの感覚世界とは全くちがった性質があるというのが 多層構造の認識でした。
ところが、それらの二つの世界の探検を終えたいま、私たちをとらえているのは 別の感想だといえるでしょう。
つまり、自然を構成しているのは素粒子であり、この目に見えない極小の粒子の性質こそが、それよりはるかに大きな私たちの感覚できる世界にも、さらに巨大な大宇宙にも共通している。
そして、素粒子の奥にさらにある謎の"原物質"をとらえれば、自然を統一的に説明することもできるのではないか、と考え始めているでしょう。自然は一元であるという認識がこれなのです。
言ってみれば、太陽も地球も海も川も、机も椅子も、大人も子どもも、そして人間の生も死も、心の作用さえ、この素粒子の運動、エネルギーから考えることができるのです。
もちろん現代物理学が真理をきわめ尽くして、神の域に達しているというのではありません。すでに述べましたように、多くの新しい事実の発見はイコール新しい未知の疑問の創出です。私たちの説明できない未知の現象、神秘なことがらはとてもたくさんあります。
しかし現代物理学が、常識と偏見を捨て、自然に忠実に、自然に合致する新しい考え方を見出す努力をつづけていることはおわかりいただけたでしょうか。
自然にどんな不思議な現象が起こっても「それは自然がまちがっている」などと批判して、神秘主義に走ることはありません。その態度は、きわめて厳格で正確、精密な物理法則を生み出すもととなっています。
しかし、この世の中にはまだまだ多くの神秘な現象が残されています。死後の世界、生命の誕生などがそれです。 つぎにそうした神秘な現象についてどう考えたらいいかを探ってみましょう。
四次元99のなぞ 関英男
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5月17日(金)06:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理
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