お日さまとお月さま
 
幸せな地球さんを見ました 
 


私は鬼でした。

ある少女の物語

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/51956794.html



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どんな理由があるにせよ ペットを捨てるのは人間の身勝手です。

私は 次女を妊娠していた時に 飼い猫を捨てました。

猫がいなくなったら 長女に 「どうしてちろがいなくなったの?」と聞かれたときに 
「○○(長女)がいじめたから ちろは家出したんだよ。 」と言ったものです。

罪を長女になすりつける、ひどい母親でした。

次女が生まれて4、5年後 ちろが 帰って(?)きました。
私が家の中で 座っていたら 猫がだまって外から入ってきて ひざの上に乗りました。

持ってみると やせて びっくりするほど軽かった。
(ちろなの?)

わたしは 何を思ったか、煮干し(ちろをゆづり受けたとき ダンボールに煮干がいっぱい入

った中にちろが居た。)を 外にひとつかみ置いて ちろが 煮干を食べている間に戸をしめ

てしまいました。

次女が庭で遊んでいるときに 隣の奥さんが
「猫飼ってるの?」と次女に聞いている声がした。

長女が学校(中1?)から帰ってきたときに 玄関に猫が座ってる と言ったときも 無視して

いた。

3回目 私が 車で出かけようと家の玄関をとおりすぎるときに 丸くすわったちろが見えました。

それ以降、ちろの姿を見ることがなくなりました。

ちろは 車で捨てられたことを思い出し、また車で捨てられると思ったのかもしれない。



鬼が真人間(たぶん?)になるとき


私がちろを1度ならず 2度も見捨てたことを後悔させられることになったのは
その後10年以上もたってからでした。

春 桜の下を歩いて 帰宅したとき
とつぜん、ちろのことを思い出しました。

ちろはどんなに 悲しかったろう
自分が ちろであるかのように感じました。

ふと、夜中に 目がさめて 涙が止まらなくなりました。
ちろ、ごめんね。~ もうあやまっても、おそいのに。

どれだけ ちろに会ってわびたくても もう ちろはいない。
あやまりたい。

胸がはりさけそうになり 苦しくてたまらず
こんなに苦しむのなら もう死んでしまいたい、と思いました。

この苦しみは、その後何年も続きました。
思い切って打ち明けた心優しい知人の女性は
一緒に 泣いてくれました。


せめてもの救いは 今生のうちに 自分のあやまちに気がついたことだと思いました。

自分のしたことは 消えません。

一生負い目を背負っていきます。









 



4月18日(土)07:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ペット | 管理

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