| 雲さん |
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こんばんは 投稿者:雲 投稿日:2009年 1月13日(火)19時40分30秒
たまきちさん、私が思うに「人は自分にとって必要な時に必要な情報を自然と得られる」と感じていますので、のんびり人生を楽しむのが一番良いと思いますよ♪ ちなみに知識というものは2面性を持っておりまして、知識を得るというのは“ある意味”素晴らしいことだとは思います。しかしながら「覚えてしまった知識」というのは記憶からは削除できないわけですね。 そして現在世に溢れている「情報」というのは嘘やデタラメも多いわけです。その結果知識を深めれば深めていくほど、「混乱」や「迷い」にハマっていく恐れもあるわけです。 さらに知識によって「自分が制約される」という可能性もあるわけです。 たとえば「基本」や「ルール」を一切知らない人は「自由」に動けるわけです。 しかし、一度「基本」や「ルール」を知ってしまうと、少なからず「制限」が生まれます。 その制限は「ルールを守らなくてはいけない」という“自己抑制”かもしれません。 そしてそこから抜け出すのはなかなか容易ではないんですねぇ。
私は興味で様々な知識を短期間で深めたのですが、正直「あえて何も知らない方がよかったかも…」と思う時が多いですよ(泣) ですから興味あることを学ぶのは良いことだと思いますが、「ほどほどに…適度に…」が大切かもしれませんね。 極端な話、「生まれた瞬間の全く無垢な状態」が一番素晴らしいと私は思いますね。なんといっても大人になるにつれ無垢な状態からは遠ざかっていきますから(泣)
そして現実的な話をしますと「私は100種類の料理の作り方を知っているが、実際に料理をしたことがないという人」と、「私はたくさんの料理の作り方は知らないが、みんなから“美味しい”と喜んでもらえる得意な料理があるという人」がいるとすれば、「自分」はどう思うか?ですね。 「知識が豊富」に越したことはないかもしれませんが、その知識を実際に活かさないかぎり、それは「あくまで知識があるにすぎない」ということかもしれません。 つまり「100の知識」よりも、実践であり「行動」が重要かなと思うんですよね。
話は変わりまして大本の弾圧は壮絶だったようですね。そして「無罪だった」というのがひどい話です。 しかし「雛型経綸」のためにひたすら耐えたというのが凄いと思いますよ。 「道歌」に限らず、昔の「和歌」というのは「言魂」であり「音魂」の力があったと思います。 現在は乱れておりますが「本来の日本語」は、一音、一音がすでに言霊だと思いますしね。
そういえば 投稿者:雲 投稿日:2009年 1月13日(火)19時55分50秒
じゅんちゃんさんは「伊勢の内宮」と内宮にある「瀧祭宮」には行かれないのかな? 「荒祭宮」は内宮にあるので、おそらく内宮にも寄るとは思うのですが、ぜひ五十鈴川沿いにある「瀧祭宮」にも訪れることを個人的にオススメいたします。 内宮では「荒祭宮」が強力に感じますが、「瀧祭宮」は“いろいろな事情で表向きには公表されない”らしいのですが「瀬織律姫」様を祭っているらしいですし…。 …と、私は祈りの旅をしている知人から聞きました(笑)
「伊雑の宮」は非常に穏やかな気が溢れておりますので、ぜひ機会があれば参拝してみていただきたいですね。 正直なところ伊勢神宮でもっとも大事な場所が「伊雑宮」だと感じております。 まるで神社の営業マンだ(汗)
-------------------------------------------------------------------------------- ああ、さらに追加で 投稿者:雲 投稿日:2009年 1月13日(火)20時01分40秒
出雲大社は、出雲大社本殿の後ろにひっそりある「素鵞社」が素晴らしいですね。 ぜひ出雲大社に行かれたら寄っていただきたい場所です。
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9月16日(金)08:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 地球さんが好き | 管理
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