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おろち 3 投稿者:雲 投稿日:2009年 1月11日(日)16時12分47秒

3種の神器と呼ばれるものがあります。
「八咫鏡(やたのかがみ)」、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」ですね。
私の解釈ですが「鏡」は「自分の中にある内なる神に気づけ。つまり神は己の中にある」という意味あいで、「勾玉」は「魂に気づけ」というような意味ではないかと思っております。
「鏡」はだいたいどこの神社にもありますが、鏡に映る自分の姿を見て「己を省みよ」、「己を尊べ」という意味があると思っています。つまり「内に神がいる」ということですね。
「天叢雲剣」ですが、やっと「おろち」の登場です。
「おろち」は一部では「大露智」などと表現されています。
つまり「本来の智」が大きく曇ってしまった状態でしょう。
これはどういうことかといいますと、現代の人々は様々な知識や情報、そして自我の暴走、欲望によって「本来の智」が失われているともいえるのです。
極端な話、多くの人は「大露智」の状態になっているかもしれません。
しかしそこで気づいた人は、暴れていていた「スサナル」が突然世のために活動されるようになったごとく、「改心する」という状態でしょう。
そのために必要なのは「己の天を曇らせる雲」をなぎはらう剣であり、それが「天叢雲剣」の意味ではないかと思うわけです。
伝説では「大露智」を倒した後で、尾からでてきた太刀が「天叢雲剣」ということですし、曇ってしまった智の状態を振りはらうことできれば「本来の智」がでてくるという感じではないかと思います。
あくまで私の解釈ですから単なる戯言ですけど(笑)
しかしですね、霊的な話をすると「オロチの本体のような霊」はいるような気がしますね。
現在も活動していて、誰かにとり憑いて密かに活動しているような気がするんですよ。それも多くの人が知る大舞台で…個人的にはまさ○様あたり怪しいのですが(汗)
しかし霊の存在の話よりも、「人間社会の大露智」は“奇跡”や“とてつもない出来事”でも起こらぬ限り簡単ではないと思いますね。


私の中の「大露智」退治 投稿者:好本健一 投稿日:2009年 1月12日(月)02時58分42秒
 雲さんの、「アマテラス様=真我」、「スサノオ様=自我」として、荒ぶるスサノオ様、「天岩戸隠れ」を見ていきますと、雲さんの解釈は筋が通っていて、とても参考になると思います。

 出口先生の『霊界物語』は、古事記に対してまた別のビジョンを提示しています。

 そして、私が思いますところは、「解釈」は人(=独立個人)の数ほどあったほうがいいと思います。

 その独立個人が、自分の解釈を、自分の一人旅で実践し、そこで得たものを、ご縁のある独立個人たちと分かち合って、それぞれの一人旅では気づけないものを戴いて、お互いの一人旅をより有意義なものにしてゆく、それによってシンクロニシティが加速され、真我への旅が人類全体レベルで勢いづいて、それまで非常識とされていた情報も多様な場で検討されてゆくことになる、と思います。

 私は、古事記から『霊界物語』を見るのではなく、『霊界物語』から古事記を見ております。とは言いましても、時間がありませんから古事記は深く読み込んでおりませんので、こういう機会に(雲さんから)改めて古事記について学び直すことができるのは、とても有り難いです。

「暴れていていた「スサナル」が突然世のために活動されるようになった」のは、なぜでしょう。

 古事記で提示されている「アマテラス」と「スサノオ」。

『霊界物語』で提示されている「アマテラス」と「スサノオ」。

 解釈は、独立個人の実践の中で、一人ひとりが自分の魂の糧として精錬し直して、他と分かち合うためにあると思いますので、「解釈の違い」は、決して越えられない個の一人旅の「距離」として受けとめていればいい、と思っています。

 雲さんの解釈全体を通して感じられる真我への旅の意志。それは、私の真我への旅の、大きな励ましとなります。改めて、私の中の「大露智」退治に精進したいと強く確認しました。



9月16日(金)08:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 地球さんが好き | 管理

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