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中国

その3 投稿者:新参者メール 投稿日:2013年 7月17日(水)10時25分0秒

中国では<信託>と言って、10%以上の金利を約束した高利回りの金融商品が山のように販売されています。
 地方政府は誰も入らないマンションや空港や高速道路を作ってきたのですが、一向に収益が上がらず、借りた資金が返せずに資金繰りが火の車となってしまいました。ですから10%以上の高利を約束されて集められた資金から、<影の銀行>のルートで資金を融通することによってギリギリの経営を成り立たせてきたわけです。その資金繰りがさらに行き詰ってきたのが今と思えばいいでしょう。
 中国は明らかに経済の減速がみられるのに、資金需要ばかりが爆発的に伸びているということ自体がおかしいのです。日本をみてください、誰も上手いビジネスがなく、資金の借り手がいないから金利が上がらないわけです。ですから資金需要を起こすように、経済を活性化しろ、ということでアベノミクスが始まってきました。ところが中国は金利が2%から13%まで跳ねるほどの資金需要が起こっているのです。その一方で経済が大減速中ということですから、いったいどうなっているのか、ということなのです。

「危機」は人為的に起こされる!?
 中国の公式統計によると2005年から2008年にかけては信用拡大、いわゆる資金需要とGDPの拡大の比率は1:1だったのです。ところが昨年はこの比率が4:1となったというのです。GDPを1増やすのに今までの4倍の資金が必要になっている。これはおかしくないですか。端的に言えば膨大な金利負担のような経済成長に全く役に立たない資金需要がここにきて爆発的に増えていることが見てとれるのです。

 ですから事情通は、中国経済は末期的な症状になってきていると懸念しているのです。
 投資家ジョージ・ソロスは「中国における影の銀行のシステムの急激な拡張は、米国のサブプライムローン問題と不気味なほど似通っている」と警告しました。
 そしてバンク・オブ・アメリカの中国担当のストラジストは「中国の現在の信用拡大の状況は、米国の2008年3月のベアー・スターンズ救済の段階にまできている。ここで局面を一変させるのは、リーマン・ブラザーズの破綻のような大きな出来事になる可能性が高い」と言うのです。
 実は既に中国当局は極秘でこの<影の銀行>の問題処理の青写真を作り、中国発のリーマンショックに備えて準備を始めている、という驚くべき観測があるのです。
 日本で起こった1997年の金融危機では山一証券や三洋証券、そして長期信用銀行や日本債券信用銀行や北海道拓殖銀行などが相次いで倒れていきました。この間、残った銀行には膨大な公的資金が投入されたのです。


その4 投稿者:新参者メール 投稿日:2013年 7月17日(水)10時26分3秒

一見すると、自然に山一証券などが倒産に至ったかのように思えますが、それは違っていて、当時は多くの金融機関が倒産の瀬戸際にあったわけで、当局としては山一をスケープゴード的に倒産させることによって、世論に危機感を植え付け、政府による膨大な税金投入、いわゆる公的資金による銀行救済の道を開いたのです。危機が起きなければ世論は公的資金投入に納得してくれません。ですから人為的にシナリオを書いて、それに従って危機を演出して事を収めたのです。いわゆるショック療法です。
 米国で起こったリーマンショックも同じです。リーマン・ブラザーズをスケープゴードとして倒産させることによってまずは危機的な状況を作り、それによって米国政府による公的資金導入の道を開いたのです。危機がなければ誰が膨大な税金を銀行に投入することに納得するでしょうか。こうして米国政府は80兆円という膨大な資金を投入することによって危機を封印したのです。リーマンが潰れた翌日に世界ナンバー1の保険会社AIGは一夜にして連鎖的に危機に陥り、20兆円という支援を米国政府から緊急に受けるという事態となったのはまだ記憶に新しいところです。

 そして今回の中国側の想定しているシナリオですが、はっきりと詳細をつかむことはできません。実はこれに絡んで事情通に注目されていたのは、先日の米中首脳会談なのです。
 6月初旬に行われた米中首脳会談は何と8時間という長時間の会議となりました。いったい何を話しあったのか? 通常日米でも日中でも、どんな首脳同士でも2時間程度の首脳会談が当たり前の話です。事務方は長時間の話し合いをするのはわかりますが、首脳同士が8時間も話し合うということは極めて異常というしかありません。そして会談内容は全く漏れ伝わってこないのです。

 過去を振り返ると、米中の首脳がこれだけの長時間の会談を持ったのは1972年のニクソンと毛沢東が会談したケース、また1985年のレーガンとゴルバチョフが会談したケースの二つしかありません。
 注目すべきことは、この二つの会談の前後には世界の枠組みを変えるような大事件が起きています。1972年7月、電撃的にニクソンと毛沢東の会談が発表になりました。1ヵ月経って8月あの衝撃的なニクソンショックが起こったのです。これによって金とドルの交換は停止され、それまでのドルと金をリンクした固定相場制は廃止となりました。世界は一気に変動相場制となり、今日に至るのです。
 まさにニクソンと毛沢東の長時間会談を契機にして、世界は劇的に変化しました。
 そしてニクソンショックでは世界の資本市場には激震が走ったのです。
 またレーガンとゴルバチョフの長時間会談も異様でした。この会談の2ヵ月前には<プラザ合意>があったのです。



7月17日(水)11:35 | トラックバック(0) | コメント(0) | 社会 | 管理

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