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85 科学と宗教は超感覚の世界で握手できたのか

私たちの長い歴史を眺めてみると、宗教に強く支配されていた時代と科学が強く支配していた時代とか交互にくり返されていることがわかります。その意味で宗教と科学は長い間、反目し、対立を続けてきたといえます。

では科学と宗教のもっとも大きな争点はどこにあるのでしょうか。

美しい花は見る人がいなければ、美しい花が実在しているとはいえません。これは、私たちのだれもが常識的に承認できることではないでしょうか。

ここで述べられている思想は、人間の感覚できるままの物質世界は実在しないという考え方です。

これは宗教家の意見のようでもありますが、じつは現代物理学にも通じる考え方でした。私たちの感覚できない超感覚の世界にこそ自然の本質があるという物理学の発見を思いだしてください。

では、宗教と科学は、この思想のもとに握手できたのでしょうか。そうではありません。見かけ上は同じような発想をしているようにみえますが、意味するところは正反対なのです。

宗教家は、私たちが手で触れ、見るままの物質世界は存在せず、それは心の映像だといいます。つまり、超感覚の世界とは心のことなのです。

科学者は私たちが手で触れ、みるままの物質世界は存在しない。手で触れ、見るままの常識では物質世界を理解できない。超感覚のマクロの物質世界と超感覚のミクロの世界を探検するためには常識の尺度を捨てるべきだと考えます。

そして、私たちの感じることのできない超感覚の世界に自然の本質を解明する原物質があると考えます。そのために、自然の法則に忠実に考えていきます。心から独立した物質世界、自然の存在が大前提なのです。

このように、同じ超感覚の世界といってもその意味するところは正反対なのです。

科学と宗教が同じように超感覚の世界という言葉を用いているから、科学と宗教が同じ発想に基づいて自然をとらえているという宗教的同一化は、とんでもない空想にすぎないのです。

このように科学と宗教は、発想の源がちがっており、おたがいに物わかりのわるい人間と考えています。

                                四次元99の謎 関英男



5月27日(月)07:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理

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