61 原物質を求める長い長い探求の旅 |
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| アルゼンチンの忠犬ハチ公
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飼い主が亡くなった日 家からいなくなり 一週間後に 家族が墓参りに行くと そこで泣いていたかのように家族を出迎えたわんちゃんは 以来6年間 墓を守り続け なんども家に連れ帰っても じきに飼い主の墓にもどって来るのだそうです。
61 原物質を求める長い長い探求の旅
人間は歴史をもち始めてから今日まで、私たちの身のまわりに起こるあらゆる自然現象を統一的に理解できる究極的なものを探求しつづけています。
それをつきとめたいという欲望がすべての科学の進歩の源であったとも言えるでしょう。決定的ななにかがあるにちがいない。
人間の社会が誕生したとき、当時の思想家たちは世界は統一され単一のものであるという確信を早くも抱いています。
この立場は、言ってみれば唯物論的な考え方ですが、しかしこの確信は人間に物理学や化学、哲学における数々の新しい発見をもたらしたのですから、そのひらめきはたいしたものだったと言えます。
中国の偉大な哲学者、老子は、紀元前四世紀ごろに早くも、自然が、たえず変転する運動によって成り立っていることを見抜いていました。
そして、この考え方は、人間を自然から独立させて、自然を対象としてながめるという飛躍を人間に与えたのです。
自然を人間自らの力で組織するという科学的態度の確立を人間にうながしたものと言っていいでしょう。
老子よりすこしあとになりますが、インドの賢人のウルカは、すべての物質は原子から成り立っていると考え、その原子を"パウマーヌ"と呼びました。
自然の究極物質に原子を考えたのは彼が始めてです。
そしてかれは、パウマーヌは土、光、空気、水の四種類から成り立っていると考えています。
また、大乗仏教の経典『倶舎論』のなかでは極限微粒子の種類を十六と考えている節があります。
古代ギリシアの多くの哲学者たちもウルカと同じような思想を語っていることはよく知られています。
ギリシア人とインド人が交流したことはありませんから、独自に自然の究極物質を考えたものと思われます。
たとえば、紀元前六世紀にギリシアの賢人ターレスも、「万物の源は水である」と述べています。
こうした人類の知的欲望とともに発展しつづけた科学は、約二千五百年の長い時間ののち物質を構成する最小単位として素粒子を発見しました。
では素粒子は原物質なのでしょうか。それ以上小さい物質はないのでしょうか。それをこれから考えていきましょう。
四次元99の謎 関英男
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5月3日(金)06:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 関英男博士 | 管理
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